第54回
「不惜身命」と「生命あっての物種」 その2
日本の場合、下の者が出すぎたことをして
組織に損害をあたえた場合、本人だけでなく、
直接の上司も、そのまた上の重役も、
「監督不行き届き」の責任をとらされ引責辞職をさせられる。
それは会社や役所が一つの有機的な組織になっていて、
上も下も一心同体であるという意識があるからである。
ところが、中国の組織は役所にしても会社にしても、
バラバラの個人によって成り立っているせいで、
上と下の連帯感がない。
したがって、上の者が下の犯した間違いを
自分の責任として受けとめることがない。
引責辞職どころか、部下が間違いを起こすと、
上司は身にふりかかる火の粉を必死になって払いおとそうとする。
自分とかかわりのないことを強調するあまりに、
自分が先頭に立って部下を裁判所に告発することさえ辞さない。
上司と部下の関係がこんなにも非人情なものかと
日本人ならびっくりするところだが、
中国人は明らかに過失がある場合でも、
決して自分の非を認めようとしないのが普通である。
たとえば、私がオーナーをやっている台湾の中華料理店で、
ある時、出てきた紅焼魚翅(フカヒレのスープ)に
重油の臭いがまざっていたことがあった。
調理をする段階で重油のまぎれ込む可能性は少ないから、
おそらくフカを水揚げする時か、
フカのヒレを切る場所に重油がこぼれていたのだろう。
一口食べただけで、私は箸をおき、
「これは中東圏の海でとれたフカのヒレかな」と冗談を言った。
マネージャーがそのことを厨房に伝えたから、
厨房の中が大騒ぎになった。
厨房にはコックが五十五人も働いており、
揚げ物は揚げ物、蒸し物は蒸し物、
また炒め物は炒め物と、作業別に部門が分かれている。
私がお客をする時は、それぞれの部門のチーフが腕をふるうので、
店では最高の料理が出てくる。
したがって、こんなことはまずないのだが、
「機会油か何かまじっていたらしいぞ」と言われても、
チーフは謝りにも出て来ないし、
「そういうことが起こるわけがない」と頑張るばかりで、
一切非を認めようとしない。
非を認めたが最後、
自分が責任をとらなければならないと思っているのである。
こういうところは、アメリカやヨーロッパとよく似ている。
もし部下に押しつけることができたら、
部下に押しつけてでも責任を逃れようとするし、
部下の間違いは自分の責任であるとは思わないから、
それですんでしまう。
その点、日本人の受けとめ方はまるで違う。
日本人は部下のやったことでも、自分の責任だと思う。
責任をどこで食い止めるかは、事の大小によって、
また世間の反応によって、必ずしも同じではない。
課長のところで止まることもあれば、部長で止まることもある。
どうしてもそこで止められなくて、
担当重役や社長にまで及ぶこともある。
したがって、本当は自分に全く責任がないのに、
たまたまそのポジションにいたというだけで、
クビのとぶことがある。
日本人の宮仕えは出世するもしないも運に大きく左右される。
しかし、どんな場合でもふりかかる火の粉を避けないことが
潔しとされているから、
仕事場での男の出処進退には「オトコの美学」が働く。
そのへんに武士の末裔と、
中国的専制官僚の気風の違いがみられる。 |