第46回
教育熱心でも学歴は重視しない その4
日本ではテレビドラマの悪役として
悪代官というのがしばしば登場してくるが、
古い記録を見る限り、
飢饉になれば思うように年貢米が取り立てられなかったし、
百姓の苦しむ時は武士も耐乏生活を強いられるのが普通であった。
そういった意味では、日本は伝統的に地緑社会であり、
領主が何回変わっても地緑社会が中心であったことに変わりない。
血統主義は領主になる人の子孫が
領主の地位を継ぐというだけのことであって、
藩士や百姓たちの支持がなければ、
生産も分配もうまくはいかなかったのである。
このことは明治になって以後も変わりはない。
同郷の誼が幅をきかせ、中央政府でも県人会がモノをいった。
廃藩置県が実施されるようになると、
藩主をはじめ、家老・家臣が領地を離れることになった。
そのなかには職を離れて隠居したり、
帰農したりした人もあったが、
新しい職を求めて上京する人も多かった。
また一族郎党を養っていくために、
殖産に心がけ、会社を興す人も少なくなかった。
「士族の商法」という言葉が残っているのも、
こうした人たちが慣れない商売に手を出して
失敗する光景が珍しくなかったからであろう。
明治以降、新しくつくられた「会社」のすべてが
失業した武士によってっくられたものではないが、
「会社」という傘の下に集まってきた人の中には
失業した武士もいただろうし、
少なくともそこに集まってくる人々は、
藩士たちが藩主に仕えるのと
そう違わない心情で仕えるようになった。
新しい組織も古いものとそう変わらないし、
命令系統も大体似ておれば、
日本の会社が利益追求を目的としながら
他国に類例を見ないくらい
精神的なつながりでできているとしても
何の不思議もない。
明治以降、日本で新しくできた会社は、
もともと日本人のサムライの組織を受けついだものだからである。
中国人が自分および自分の一族のために
利益の追求をしている組織とは
本来、異質のものなのである。 |