第45回
教育熱心でも学歴は重視しない その3
日本人は商品をつくるように
人間も規格品をつくろうとする。
だから日本の学校は
人間をつくる工場のようなところがある。
一定の年齢に達したら、
子供を学校に入れるものと思っているし、
大学を出たら、会社に入るものと思っている。
東大やその他の有名校を出た者が
特別の扱いを受けることに対して、時々議論が出るが、
どこの親もそれを当然のこととして受け入れているから、
できるだけ子供をいい学校に入れようと努力する。
学歴無用論が間欠泉のように噴き上げてきても、
それによって日本人が学校をボイコットするとか、
会社に入社しなくなるということはない。
それどころか、
有名校はいつも志願者でひしめきあっているし、
一流会社に息子を就職させるために
親たちは毎年のように走りまわっている。
うまく一流会社に就職できると、
結婚の相手だって良いのが見つかる。
すぐお隣りの国だというのに、
日本と中国とでは
どうしてこれだけの差が生ずるのであろうか。
それは中国人が戦乱の時も平和の時も、
自分と自分の家族だけで生きてきたのに対して、
日本人はチームを組んで
集団で生きてきたからだと私は見ている。
もちろん日本人にも、血統主義はあるし、
今なお国籍法では血統主義に縋りついて
出生地主義に背を向けている。
しかし、実情をよく調べると、日本人は血縁よりも、
もっと地縁を重んずる気風がある。
昔は武士が功により土地をあたえられると、
その土地の名にちなんで姓氏を名乗った。
足利という土地を領有したから足利、
新田という土地をあたえられたから新田と称した。
せっかく名字帯刀を許された武士でも、
その土地を離れて三代たつと、姓氏を失う。
だから土地をもらった武士は
もらった土地にしがみつき、
一心不乱で土地の開発に力を入れた。
そこから「一所懸命」という言葉が生まれ、
それが「一所」から「一生」に転じて
「一生懸命」になったのである。
だから自分の姓氏とか家柄を守るためには地域社会に融け込み、
その土地の人々を自分の見方につけなければならなかった。
日本にはヨーロッパのような奴隷制の
痕跡が見られないばかりでなく、
封建社会の昔から、領主と家来たちは一蓮托生であり、
また家来たちとその領民もまた
一蓮托生でなければやっていけなかったのである。 |