第47回
会社は利益を追求するゲマインシャフト
今日、われわれが知っている日本の社会は、
会社を単体とした組織の連合体みたいなものである。
会社という組織は戦前にもあったが、
それはスケールの大きな企業に限られていた。
繊維、ビール、セメント、製鉄といった業種は
早くから株式会社としてスタートした。
明治時代の株式会社は昔の藩みたいなところがあって、
社長や社員に対する世間の評価も高く、
名刺にそういう肩書きがつくと、
藩主や藩士並みの礼をもって迎えられた。
月給取りの月給は、昔の俸禄と同じものだから、
月給取りは肩で風を切って歩くことができた。
月給取りでない、あとの大半の人々は小商人だったり、
大工や左官だったり、下働きの人々だった。
そうした大会社に右へならえをして、
猫も杓子も株式会社に鞍替えをし、
二間間口の小店舗のオヤジさんでも
社長を名乗るようになったのは戦後になってからのことである。
どうしてそうなったかというと、
税法が法人を個人より優遇するようになり、
会社組織にすれば税金が節約できるようになったからである。
たとえば、アメリカの占領軍の意向をくんで
戦後の日本で累進税法が実施されるようになると、
個人の最高税率は九三%(国税七五%、地方税一八%)になった。
それに比べると法人所得税は、五○%から六○%程度ですみ、
明らかに法人にして経営するほうが有利になった。
また個人営業だと、自動車を買っても
経費として認めてもらえないし、
交際費を経費に算入することもできなかった。
不動産を購入するための借金に対する利息も経費にならないし、
建物の減価償却だって認めてもらえない。
おかげでどこの個人商店も、事業のスケールが大きくなると、
「そろそろ会社に切りかえられてはいかがです」
と税理士にすすめられ、
ほとんどの商店や小さな町工場まで、
株式会社に組織がえをした。
道で石ころを蹴ったら
社長にあたるようになってしまったのである。
もちろん、一口に社長と言っても、
何万人もの従業員を抱えた大会社の社長もあれば、
とうちゃんが社長で、かあちゃんがナンニモ専務という
中途半端な会社もある。
また創業者が株の大半を所有している上場会社もあれば、
トップが株をほとんど持っていない雇われ社長の会社もある。
会社によって営業額や資産も違えば社風も違うが、
大きくても小さくても会社が社員たちの城になり、
そこを基地にして
夜討ち朝駆けに出かけることに何の変わりもない。
こうなると、何事をやるにも会社が中心になる。
会社には会社を代表する代表取締役がいるが、
代表取締役が会社を代表しているというよりは、
「会社」がそこで働いている社長以下、
すべての従業員を代表しているといったほうが真相に近い。
創業者でかつユニークな存在として広く知られる
著名な経営者を除けば、
ほとんどの社長が会社あっての社長である。
極端な言い方をすれば、
社員が昇進して順番でなる社長だから、
誰がなってもさして変わりはない。
したがって、日本人の名刺は右側に小さな字で会社名があり、
真ん中に役職があってその下に自分の名前が印刷されているが、
世間の名詞に対する関心度から言えば、
真ん中に会社名と役職があって、
その左下に小さく自分の名前があって然るべきであろう。 |