第41回
日本人にはわからない"亡国の民"の哲学 その2
中国の百年の近代史ほど、
中国の読書人(インテリ)にとって
みじめで行きづらい時代はなかったと言ってよいだろう。
この時期に、今日、華僑と呼ばれている五千二百万人
(台湾、香港、澳門在住の中国人を除けば二千六百万人)
が国を捨てて、海外に出稼ぎに行った。
売猪仔(子豚を売る)という表現が残っているように、
なかには何年分かの工賃を前払いしてもらい、
その金を家族に渡してから年季奉公に出かけた者もあった。
サンフランシスコのことを中国人は旧金山と呼んでいるが、
当時はウエスト・コーストが
ゴールド・ラッシュで沸いた時期であり、
中国人労働者は苦力として
金鉱の開発や鉄道工事に狩り出されたのである。
またサンフランシスコに続いてオーストラリアで
金山が続々と発見され、
ゴールド・ラッシュはウエスト・コーストから
オーストラリアへ移ったので、
シドニーが新金山と呼ばれるようになった。
ここにも中国人の労働者たちは集団で連れて来られ、
労働者として働かされたのである。
中国人はよく働くし、艱難辛苦に耐えてお金を貯める。
年季があけて借金を返しおえると、
晴れて故郷へ帰る人もあったが、
どうせ故郷へ帰っても貧乏と失業が待っているだけだから、
新天地で生活の基盤を築こうと居残った人も多かった。
それらの出稼ぎ中国人がアメリカやオーストラリアや
東南アジアの各地で粒々辛苦の末に経済的な
地盤をつくりあげたのが今日、
準僑と呼ばれる一群の人々である。
華僑たちは、自分らの政府をうしろ楯にして
海外に進出した日本人と違って、
自分らの力で自分らの地盤を築いた。
はじめから国家権力をあてにしていないので、
まずお金を貯めなければならない。
そのためには食べるものも食べずに節約するし、
どんな艱難辛苦にも耐えていく。
また身の安全と事業の繁栄のためなら、
権力者を買収するお金も惜しまない。
東南アジアに行くと、どこの国でも小役人から
警察官まで平気でワイ口をとる。
マニラあたりで、交通違反をして、
交通巡査にピーピーと笛を吹かれると、
十ペソか、二十ペソ用意して運転免許証の上に載せておく。
それを受け取ると、警官はまた笛を吹いて行け行けと合図をする。
こんな悪い癖を東南アジア中に教え込んだのは、
たいていが華僑たちである。
マルコスの時代に私はフィリッピンに行ったことがあるが、
選挙が近づくと華僑の有力者たちが集まって、
金額を書き込まない小切手を
マルコスに贈るという話をきかされた。
いくら何でも無額面ということはないだろうが、
それに近いことならあり得ないことではない。
シンガポールを除けば、東南アジアのどこの地域へ行っても、
政府の人たちは華僑から丸抱えにされている。
夕イやインドネシアでしばしば汚職が新聞ダネになるが、
たいてい、そのうしろには
華僑と呼ばれる人たちの姿が見えかくれしている。
どう考えてもこれらは「亡国の民」の仕業である。
「亡国の民」にとって儲かることがすべてだと言ってしまえば、
それまでのことであるが、
金にさえなればあとはどうでもいいというのでは、
日本人の道徳律とは相容れないであろう。
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