第42回
日本人にはわからない"亡国の民"の哲学 その3
さきにも述べたように、日本の国は個人や企業の上にある。
国のおかげで自分たちが生きていけるのだと思いがあるから、
日本人は法律もちゃんと守るし、税金もきちんと払う。
ところが中国人には国という考え方がない。
あったとしても、それは自分らの国ではない。
仮に自分らの国であっても、
自分らの利益を守ってくれる国ではない。
だから法律が自分らに不都合であれば、
法律をおかしても罪にならないようにすればよいと思うし、
税金もうまく避けられるようなら、
なるべく払わないですませようとする。
なぜならば、「法律」や「税法」は、
その国の権力者に都合のよいようにできており、
「それを守らないでも罰せられないですむものなら、
守らなくともいいじゃないか」と考えられているからである。
たとえば、香港は密輸の天国と言われている。
香港の人たちが平気で密輸に従事するのは
こうした哲学を信奉しているからである。
華僑とか華人とか言われている人々は、
法律と道徳律を自分らなりにはっきり区別している。
法律は時の権力者が
自分らに都合のよいようにつくったものだから、
それを破ったとしても良心の呵責はあまりない。
その代わり捕まって没収されても仕方がない。
権力者の仕掛けた罠にひっかかったようなものだから、
運が悪いと思ってあきらめるよりほかない。
だか、道徳律ともなると、違う。
道徳律は人間として正しく生きるためのルールだから、
人がみてなくとも自分を縛る。
たとえば、武器弾薬や麻薬は政府も禁じているが、
禁じていないとしても、
良心のある商人として扱うべきものではない。
良心にもとることをやれば、
必ず因果応報があると中国人は信じている。
自分の代に直接、禍いが及ばなかったとしても、
子孫が必ずその報いを受ける。
時代が変わっても中国人はそれを信じているし、
そのことを自分らの家族にも教えている。
「亡国の民」なら何をやってもよろしいということではない。
「亡国の民」には「亡国の民」なりの行動の原理がある。
お金以外に頼るものはないから、お金は人一倍大切にする。
しかし、きちんとルールを守らなければ、
お金はいつまでも手元にとどまっていてはくれない。
そのためにはルールを守るように、
自分の家族を教育しなければならない。
またお金は自分と自分の家族だけでつくれるものではない。
どうしても友人たちに助けてもらわなければならない。
そのためには友人たちから信用されるように
細心の注意を払う必要がある。
中国人の利己主義は自分と自分の家族だけでなく、
信頼のできる友人にまで及ぶ。
信頼のできる友人であると思っている以上、
何億円、何十億円の取引でも契約書は要らないし、
領収書も要らない。
ただし、一人の人間にとって、
そういう友人はそう何人もいるわけではない。
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