第37回
これほど政府を信用しない国民も珍しい
しかし、その一方で、国のことを単なる「国」と呼ばずに
「国家」という言葉をつくったのも中国人なら、
「愛国」とか、「憂国」とかいう言葉を
しきりに強調するのも中国人である。
英語でネイションと言えば、国民のことである。
国民が集まってできた集合体もまたネイションと呼ぶ。
中国人が「国」と呼ばずにわざわざ「国家」と言ったのは、
中国人の頭の中に「家」が先にあって、
それを大きくしたものが「国家」である、
すなわち家に劣らず、あるいは、それ以上に重要なんだぞ、
とことさら強烈に印象づけようとしたのであろう。
中国人は修身斉家治国平天下と言うように、
個人から出発して周辺に拡大していく。
常に自分が中心になっていて、
国家や天下は後回しになっている。
なぜそういうことになるかというと、
中国人は何千年の歴史の間に、
国の興亡をいやというほど見せつけられてきたからである。
国が減びるといったって、
権力者が権力を失うだけのことであって、
自分たちとは関係がない。
できればそういう騒ぎに巻き込まれまいという
気持ちのほうが強いのである。
それに比べると日本の場合は、
「家」というユニットの上に「国」という集合体がある。
逆に言えば、「国」という傘の下に一軒一軒の「家」がある。
信長のあとに秀吉が天下人になろうと、
秀吉の死ぬのを待って家康が幕府を打ち立てようと、
いったん天下をとった者は藩をその下に従え、
全体の利害を考えて国を治める。
ところが、中国では、兵を集めて軍閥の長になった者が、
同じ立場の者と争って支配者にのし上がったあとも
家が大きくなっただけのことで、
個人もしくは家族の持ち物の域を出ない。
したがって、中国の国は家をその傘下におさめたものではなくて、
一般の家と競争して大きくなったものが
国の大きさまでふくれあがって、他を圧しているにすぎない。
今日に至るもなお、かなりの中国人が
国をそういうものとして受け取っている。
封建時代には、洋の東西を問わず国は国王の持ち物であった。
ルイ十四世は国民から取り立てた税金の三分の一を
自分の愛妾の歓心を買うために使った。
道路の修繕をしたり軍隊を養うお金も、
国王のプライべイトの費用も、
同じポケットから出されていた。
立憲君主国になると、
王室費と国家財政ははっきりと区別されるようになった。
どちらも議会の承認が必要になり、
国王の意のままというわけにはいかなくなった。
中国大陸でも中華民国以降は立派な憲法を持つ国になったが、
いくら憲法が立派でも、
それを無視して権力の争奪が続いていたから、
愛国心のある人でもどこからどう手をつけてよいか思い迷った。
せっかく清朝が滅亡しても、
そのあとに続く軍閥のボスたちには
民主主義を受け入れる素地もなければ、
かつ法律を守る習慣もなかった。
その中から頭角を現わした蒋介石がようやく天下をとったが、
蒋介石とその家族もまた、
アメリカ人ジャーナリストのスターリング・シーグレーブが書いた
『宋王朝』という本に述べられているように、
国を自分らの家くらいにしか思っていなかった。
宋家の人々は自分らの地位を利用して、
新しい通貨政策を発表する前に、
前もって上海市場で黄金や株の売買をすることに
何のためらいも示さなかったのである。
こうした国家の私物化に、
最も反発したのが蒋介石の息子の蒋経国であった。
父親亡きあと、蒋経国は国民党政府の行政院長、
また総統として死ぬまでの十数年、
台湾で思い切り改革に手をつけた。
まず自分亡きあと蒋家の人々が
再び政権に就くことはないと宣言し、
台湾を近代的な意味での国家に変えることに全力を尽くした。 |