中国人と日本人 邱永漢

「違いの分かる人」へのヒントがあります

第36回
中国人に理解できない公益優先の思想(3)

中国人は頭の回転が早い。
個人と個人を比較したら、
おそらく知能指数も日本人より上だろう。
金儲けというところに焦点を合わせれば、
根が商人であるだけに、日本人はとても太刀打ちができない。
貧乏人はその下積みになって、
貧富の差がついてしまうことは目に見えている。

そういう貧富の差が誰の目にも明らかになり、
庶民感情の許容範囲をこえてしまったからこそ、
共産主義革命が成功したのだと見ることもできる。

共産革命も含めて何百年、何千年にわたる
政権交替による混乱や洪水飢饉のたびに、
中国人は自分および自分の家族を災害から守るよりほかなかった。
利己主義と言われようと何だろうと、
自分と自分の家族を助けるのが第一で、
次が家族同様のつきあいをしている友人たちである。
あとの人たちは自分らで助かるように
自分たちで努力してくれればいいのである。

私がこう言ったからといって、
中国人を侮辱しているわけではないし、
中国人が自分らの利己主義をむき出しにしていると
言っているわけでもない。
ふだんの中国人はあくまでも大人であり、
政治や社会事業に対しても関心を示す。

しかし、心の中で、関心を示す順位はちゃんときまっていて、
これほど利己主義に徹し、
これほど家族中心に物を考える国民は他に類例を見ない。
もちろん、日本人にも利己主義者はたくさんいる。
終戦直後の一時期など、さすがの日本人も、
自分の家族を食わせることに夢中で、
他人のことなどかまっていられなかった。

しかし、そういう時代でも、
日本人はすぐにも集団で行動することの利点に気づき、
間もなく「会社」をつくって、
その中にたてこもるようになった。
「とかくメダカは群れたがる」
と日本人は自分らの集団性を卑下してかかるが、
一人一人は弱い存在であっても、グループで行動すると、
日本人は見違えるほど強くなる。

たとえば、藩士なら藩を背負って行動するし、
藩がそのうしろ楯になる。
農民なら村の一人であって、
村八分にならない限り村がその人の面倒をみる。

同じようにヤクザなら組の掟に従うことによって、
組の手厚い保護を受ける。
そのかわり集団の利益を個人の利益に優先させる。
それが長い間の習慣で、日本人の血となり肉となっている。
だから親分と子分の関係は、はっきりしている。

家臣は殿様を中心に、百姓なら庄屋を中心に、
漁師なら網元を中心に、
そしてヤクザなら親分を中心に上下関係が構築されている。
そこには集団の掟が働く。

親分の命令によって人殺しをするのも、
殺人犯の身代わりに刑に服するのも、
集団の利益を優先する思想があればこそである。
そのために義理と人情の挟み撃ちにあって苦しむのが
ヤクザ映画の最大のテーマであるが、
こうしたストーリーの運び方が多くの日本人の涙を誘うのも、
自分らが身につきまされるような
境遇におかれているからであろう。

中国人はその社会生活を送る上で、
こうした義理人情に悩むことはほとんどない。
公益とか、チームの利益を優先させる習慣がないから、
「忠ならんと欲すれば孝ならず」
といった平重盛の心境にならずにすんでいるのである。





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2012年9月12日(水)

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