中国人と日本人 邱永漢

「違いの分かる人」へのヒントがあります

第23回
漢字文化の完成度とカナ文化の融通性 その2

うちの家内の実家などは、かなり洋化され、
子供たちも英語の教育を受けているし、
日曜日には蓄音機を車に積んで郊外にピクニックに出かけ、
親たちが見ている前で子供たちがボーイフレンドや
ガールフレンドとダンスをやっているような、
ずいぶんひらけた家である。

それでも白人のことを平気で鬼郎・鬼婆と呼ぶ。
それでいて、アメリカ留学から帰ってきた
イトコやハトコがアメリカ人の女を連れて帰ってきても、
結婚式には親戚一同が集まって祝福をするし、
そうすることに対して違和感は示さない。

一見、日本人のほうが西洋文明を
積極的に受け入れているように見えるが、
日本人は西洋人を敬して遠ざけ、
決して気を許そうとしない。
そういうのに比べると、
中国人は鬼郎・鬼婆でも平気で家族の一員として受け入れる。

はたしてどちらの胃袋が大きいかということになると、
そう簡単に結論を下さない。
この違いは漢字の国とカナの国の違いとしてとらえることもできる
漢字はそれ自身一つの完成した文化を意味する。
一字一字に意味があり、その成り立ちにもリクツがある。

男という字は田圃の中で力一杯働く姿をあらわしたものであり、
嫋という字は弱々しそうな女が美しく見える様を表現している。
水の中で弱ってしまったのが溺で、その延長として日本人は、
すぐに弱ってしまう魚に鰯という字をつくってあてた。
その一字一字の中に物や現象の本質が鋭くとらえられている。

漢字はそれ自身、完成度の高い文字である。
こうした文字の文化が日本に輸入されて、
漢字に思想を表現する具として日本語化した。
しかし、漢字が入ってくる以前から
日本にはすでにヤマト言葉があり、
それを記憶する字がなかった。
日本人は新しく輸入された漢字を略字化して、
あ・い・う・え・お、というカナをつくり出した。
あは安、いは以、うは宇、えは衣、おは於、
とルーツははっきりしているが、
それぞれの字に特定の意味はない。

カナはヤマト言葉を表現するための字として利用され、
かつ漢字を読む時の音標文字として使われるようになった。
本来の漢字は呉音も漢音もすべて
今日の日本語の発音とは異るものであるが、
日本人はそれらの発音をすべて五十一字の中におさめてしまった。

どうしてそういうことができたかというと、
ヤマト言葉のあいうえおは、日本人の音標文字であって、
それ自体に意味がなかったからである。





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2012年8月28日(火)

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