中国人と日本人 邱永漢

「違いの分かる人」へのヒントがあります

第15回
チーズと納豆で中国人があぶり出せる その2

かつて中国が世界の中心といった時代が
長く続いたことは事実だが、
そういう時代でも中国と周囲の国々との間には
人と物の往来があった。
ただ中国と周囲の国々とでは国力が違いすぎたので、
周囲の国々の人々が中国の皇帝に会いに来ると、
臣下が国王に拝謁仰せつかるような作法を強いられ、
属国の扱いを受けた。
そういう尊大なところはあるが、
国境をこえて行ったり来たりする人はあとを絶たなかったので、
文物の交流は今日私たちが想像するより
盛んであったことは間違いない。

人が動けば、それにつれて物もお金も動く。
動けば、お金が儲かるチャンスがふえるから、
通行税もとれるし、交易税もとれる。
どこの領主もお金になることは大歓迎だったから、
ずいぶん遠くからでも人は移動してくる。
白楽天の詩をみても、
胡姫即ち西域の踊り子たちのことが盛んに出てくる。
唐の都・長安はいまの北京に比べると、
うんと西のほうにあったから、
そのまた西から来るには便利だった。

長安に青い目や金髪の娘たちが出稼ぎにきた光景は、
今日銀座の夜の酒場にフィリッピンや
夕イの女性たちがはべっているのと同じだと思えばわかりやすい。
当然のことながら、
食べ物も風俗習慣もその人たちについてやってくる。
神様でさえも人間にくっついて異国へ渡ってくる。
仏教はインドから、清真教はアラブから、
それが更に朝鮮半島を経由して日本に渡ると、
似ても似つかぬものに変形していく。
同じように食べ物も人について異国に渡ると、
違ったものに変化していく。

たとえば、野菜などは、その名前から類推する限り、
南蛮や西夷からの渡来物が多かった。
胡瓜とか、胡椒とか、胡菜(あぶらな)とか、胡蒜(ニンニン)とか、
胡桃 (くるみ)とか、胡豆(大豆)とか、胡麻とか、
ザッと並べただけでもいずれも
西域からもたらされたものだということがわかる。





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2012年8月20日(月)

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