第16回
チーズと納豆で中国人があぶり出せる その3
胡とは秦漢以前は専ら匈奴を指したが、
のちに塞外の民族は
(ちょうど日本人が日本人以外の人を外人と呼んでいるように)
十把一からげにそう呼ばれるようになった。
それが後漢の時代になると、
胡夷の胡は西方の、夷は東方の異民族をさすようになったから、
きゅうりもあぶらなも大豆もすべて西のほうから
持ち込まれてきたものであることがわかる。
胡麻もニンニクも胡椒のような香辛料もすべて
西からもたらされたものだとすれば、
中国に昔からあったものは何だろうかと首をかしげたくなる。
また中国の野菜には蕃という字を冠したものも多い。
蕃茄(トマト)、蕃瓜(パパイヤ)、
番薯(さつまいも)、蕃敬(唐辛子)、
蕃紅花(サフラン)、蕃石榴(ざくろ)、蕃南瓜(かぼちゃ)
と枚挙にいとまがないほど輸入品だらけである。
この場合の「蕃」は南蕃とは限らず、
これまた外国というほどの意味だから、
いかに多くのものがよその国から持ち込まれてきたかわかる。
したがって中華といっても、
文明文化の発祥地というほど威張ったものではなくて、
諸国の文明文化が集まってきて、
その中核になっているところと解釈すべきものであろう。
日本が中国大陸と往来するようになったのは、
すでに中国が世界の文明文化の
中核に位置するようになってからで、
聖徳太子がいくら「日出づる国の天子より」
と高姿勢の文面をしたためても、隋の国からみれば、
東夷(東の野蛮国)の土侯からの挨拶状でしかなかった。
以後、日本から中国大陸を訪れたのはおおむね留学僧で、
徳川末期に至るまで日本は一方的な中国文化の輸入国であった。
このことは漢字が日本の字として取り入れられたこと、
儒教・仏教が日本人の哲学および宗教として
定着したことを意味しているが、
そのほかにも中国にとってもともと輸入品であった植物や野菜が、
唐とかカラといった文字を冠して
中国からの伝来品として日本に定着している。
たとえば、中国で蕃椒と呼ばれていたものが、
日本へ入ってくると唐辛子になっているし、
胡瓜が唐瓜、蕃南瓜が唐なす、
番薯が唐薯と呼ばれるようになっている。
野菜だけでなく生活必需品まで範囲をひろげると、
唐綾、唐犬、唐臼、唐絵、唐帯、唐織、唐傘、唐紙、唐木、唐絹、
唐草、唐櫛、唐鞍、唐子、唐琴、唐衣、唐獅子、唐装東、唐鋤、
唐墨、唐太刀、唐玉、唐手、唐錦、唐船、唐物、
唐様と生活万般にわたって
中国の影響下におかれていたことがわかる。
貿易船も頻繁に渡来しただろうが、
留学僧として大陸に渡った日本人は、
野菜の種子から料理の仕方、
はては大陸在住中に使った家財道具の類いまで
船に積んで帰って来たに違いない。
こうして日本に輸入され、
日本人の生活の中に取り入れられた舶来文化は、
そのまま日本人の生活の中に定着した。
それが何百年もたつうちに、
外国から渡来したものであることすら忘れられてしまった。
胡瓜や胡椒は漢字で書けばそのルーツがうかがえるが、
唐衣や唐帯はただのキモノとオビになってしまったから、
日本人の中にはそれが唐の時代の中国大陸の
ファッションであったことを知らない人も多い。
さつまいもが唐薯であり、枝豆が唐豆であったこともご存じない。
豆腐や醤油や味噌に至っては、
それが日本料理と切っても切れない位置におかれているだけに、
日本に昔からある日本独特の食べ物と
思いこんでいる人もたくさんいる。 |