第7回
魚の食べ方で生い立ちの違いがわかる その1
今日の私たちは、居ながらにして
世界各国の料理を味わうことができる。
料理はそれぞれの国の文化の水準を測る
バロメーターみたいなものだから、
中国大陸の奥地に住んでいて、
世界の美食にめぐり合うことはむずかしいが、
香港や台北のような近代都市に行けば、
日本料理でもフランス料理でも一通りの料理は揃っている。
北京や上海に行っても、東京ほどではないが、
外国の料理がどんなものか、知っている人は多くなってきた。
しかし、日本料理、中華料理、フランス料理と並べてみて、
どれが一番美味か、またどの料理が技術的にみて
水準が高いかということになると、
中国人と日本人では意見が大きく分かれる。
「西洋館に住み、中華料理を食べ、日本人の女性を妻に娶る」
という中国人の理想に従えば、
どの中国人も食べ物は自分の国が一番だと
信じて疑わないようである。
ではその中国人が自分らの料理の次に
どこの国の料理を選ぶだろうか。
面白いことに中国人は日本料理を選んでも、
フランス料理を選ぶことはまずない。
中国人を食事に誘ってみるとすぐに気づくことだが、
中国人はフランス料理屋に行きたがらない。
そのせいか、香港にも台北にもあまりいいフランス料理屋がない。
たまにはと思って行ってみると、
ナプキンを花びらの形に敷いたのが
スープの皿の下に置かれている。
あれを見た途端にげんなりして、
食べないうちから、もう駄目だと観念してしまう。
スープ皿の下にナプキンの敷いてあるのは、
アメリカ式フランス料理の流儀で、
フランスの三つ星のレストランで、
スープ皿の下にナプキンを敷いてあるのに出合ったためしがない。
どこでどうやって
あんな飾りつけをするようになったのかわからないが、
日本以外のアジアの国々に出掛けると、
時々ナプキンを敷いたスープ皿にぶつかる。
「シェフはどこの人ですか?」ときくと、
「フィリッピン人です」とか、
「スイス人です」とかいう返事がかえってくる。
マニラにはアメリカ系のホテルがいくつかあり、
そこにはスイス系のアメリカ人がいたりする。
そこで修業したフィリッピン人のコックが、
新しくできた台北やソウルの
アメリカ系のホテルに配属されてくる。
そういうお粗末なアメリカ風フランス料理屋でご馳走になって、
味にうるさい中国人が「たいへん結構でした」
とお世辞を言うわけもない。
最近ではポール・ボキューズやマキシムの名を冠した店が
香港やシンガポールにあるようになったが、
残念ながら大盛況というわけにはいかない。
中国人とフランス人は、締まり屋なところと
食べ物にうるさいことで共通点が多いが、
その分だけ相反発するところもある。
どうしてかというと、中国人はフランス料理を
自分らの料理の亜流と考え、
料理なら自分たちのほうがずっと上だと
信じて疑わないからである。
フランス料理の調理法で中華料理にないものは一つもないが、
中華料理にあってフランス料理にないものはいくらでもある。
簡単な話、茶碗蒸しというのがフランス料理にはない。
中国人がフランス料理から習ったものがあるとすれば、
それはフランス風の調理法ではなくて、
フランス風の飾りつけや盛り合わせであろう。
たとえば、中華料理は一回の食事に出てくる料理の数が滅法に多い。
十人とか、十二人でテーブルを囲むのには向いているが、
少人数だと半分も食べないうちにおなかが一杯になってしまう。
ご多分にもれず、中国人社会でも核家族化がすすみ、
大ぜいで食事をするより二人とか、
三、四人で食事をするチャンスが多くなっている。
こうした世の中の移り変わりにあわせるとすれば、
多品種少量の料理を一人前いくらで出すよりほかなくなる。
現に、台北などの一流ホテルでは、
中華料理をフランス料理風に分けて出すスタイルが
ハヤるようになり、
それがまたアベックや少人数で
商談をやったりするグループに受けている。
そのせいか、中華料理の洋化がすすむと、
中国人が西洋料理屋に行くチャンスは
いよいよ少なくなってしまった。
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