人々は武力で屈服させられることにも、もし勝つ見込みがあったら抵抗をするだろうが、国の力のほうが強くてとても抵抗できそうになければ、自分の祖国から逃げ出してどこの国へでも亡命をしてしまう。国から国への移住はまだ完全に自由ではないけれども、先進国は政治難民に対しては扉をひらいているし、東ドイツのように何十万人の人が隣国に逃げ出すときは、国の力をもってしてもそれを押しとどめることはできなくなる。
その反面、お互いに移動の許された先進諸国では、国境をこえて働くことをはばむ障壁がほとんど取り除かれてしまったので、人々は多少の手続きは必要であるが、どこへでも自分の気に入った地域に移動することができる。国があり、それぞれの国の政府がある以上、違った国に行けば外国人ではあるが、外国人であるが故の難しい差別や、制限は次第に少なくなっている。とすると、日本人だから日本に住まなければならないということもないし、戦争になったから、日本人は皆つかまえて収容所に収容してしまうといったことはもう起らないだろう。
むしろ国民の一人一人が諸子百家の時代の中国大陸のように、国から国へと渡り歩いてどこの国が住みやすいか、どこの国なら金儲けをしやすいか、またどこの国なら税金が安くてすむか、を見比べて自分の気に入った国に住める時代が来つつある。貧乏国の人が金持ちの国に出かけることは、あれこれ制約があってまだまだ自由というわけにはいかないが、日本やアメリカのような金持ちの国の人がよその国に移住することは、ますます容易になっている。金持ちの国の人々は、お金を持っているからお金をおとしてくれるだろう、でなければお金を持ってきて投資をしてくれ、雇用のチャンスをもたらしてくれると期待されているからである。
こうなると、莫大な軍事費を使って国を守るどころか、国と国が比較され、自国の人でさえ自分の国を選ぶかどうかあやしくなってくる。住みやすい国、お金の儲かる国、税金の安い国と、国どうしが博覧会のパビリオンのようにお互いにしのぎを削って客寄せをしなければ、人民のほうが集まってきてくれないようになるのである。現に、企業誘致についてはアメリカでさえも州によって税金を負けるとか、長期資金を低利で貸すとか、さまざまな優待条件を出している。それが東南アジアからアフリカなど全世界に及んでいるのだから、日本の役人たちだけがそうそっくりかえってばかりもおられないのである。
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