銀行や証券会社のサービスが国境をこえるようになったのも、せいぜいこの二十年来のことである。戦前の日本には横浜正金銀行という為替銀行があって、海外に支店を持ち為替を専門に取り扱っていた。今でも「外国為替指定銀行」といったカビ臭い名称は残っているものの、すべての都市銀行、地方銀行が外国為替を扱っており、信用金庫のなかにも為替業務を扱う許可をもらっているところがある。それだけ外国貿易が常識化し、梅外送金も盛んになったということであるが、大蔵省の許可さえ得れば、どの銀行も海外に支店や駐在員事務所を設け、また現地法人を設立したり、既存の現地銀行の買収をするようになった。東京銀行などは国内で出遅れた分を世界各地でネットを張ってカバーしている。なかでもカリフォルニア州では百数十力所に及ぶ支店数を誇る現地銀行を経営している。
では、日本の銀行業や証券会社は外国のそれに比べてはたしてすぐれた経営をやっているのだろうか。それぞれの土地で生存競争に打ち勝っていくだけの長所を持っているのであろうか。先にも述べたように、日本の国に繁栄をもたらしたのは日本の事業家たちであって、銀行でも役人でも、ましてや政治家でもない。銀行は事業家たちの尻馬に乗っただけでこれだけの富を積むことができたのである。このことは、海外進出の場合にもあてはまる。事業家がまず海外進出をする。販賠会社を現地に設立する。日本の銀行が現地になかったあいだは、外国銀行をとおして信用状を組んだが、信用状の量も、金額もふえると、ほんの僅かの手数料でもバカにならない金額に達する。一方だけでなく、両方を自分らでつなげば、ちゃんと商売が成り立つ見込みが立つと、海外に支店がつくられる。つまり銀行が海外に進出するのは、日本の企業のご用を承るためだから、その他の外国のことになるとほとんど盲目に近い。現地の銀行はどんな商売をやっており、どんな業種に融資したらよいかについてもさっばり知識がない。日本の事業家のあとについて行って、ある程度の収入があり、支店が独立採算でメシを食っていければそれでいいじゃないかといった程度の経営である。しかし、現地に進出して五年たち、十年たつうちに、現地の経済事情についての知識や情報のなかった現地支店も次第に現地の事情に通じてくる商売熱心な支店長なら、どんな業種の、どんな会社に融資すればよいかということもわかるようになる。そういう支店長が新しい試みをしようと考えて銀行の本部に意見を出しても、まず採用される見込みはない。おそらく日本のあらゆる企業のなかで、最も頭が固くて融通のきかないのは銀行の中枢部であろう。
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