定価を守るということは、メー力ーから小売商まで、すべての売り手の利益を守ることになるが、その結果、流通経路は長くなるし、その分だけ中問マージンが多くなる。そこを狙ってスーパーという「価格破壊者」が現われ、流通革命が一世を風靡した。しかし、スーパーがお客をつかむことに成功してみると、安く売れば売るほど利益は減る。最初のころは競争者からお客を奪うためには安売りをする必要があったが、町の商店街がライバルでなくなってしまうと、そんなに安売りしなくても、物が売れるから、少しずつ目立たないようにマージンをふやして、スーパーもいつの問にか、「価格の破壊者」から「定価の信奉者」に逆一戻りしてしまった。定価でも一定の量が必ず売れるものであれば、定価ほど売り手にとって有利な売り方はないのである。一方、ちっぽけな小売店を相手にしているあいだ、問屋は常に優位に立っていたが、大型のデパートができ、続いて大型スーパーが成り立っようになると、これらの大型小売店は、店舗あたりの売上金額においても、傘下の店舗数においても、また全店の利益のスケールでも、大きな問屋よりも、もっと大きなものになり、小売店と問屋との、彼我の勢力関係はたちまち逆転してしまった。メー力ー側で定価を決めるものもあるが、スーパーの一存でその定価を割って販売することはむしろ常識化している。また問屋がサンプルを持ち込んできても、「このくらいの値段でないと売れないから」と言って、スーパーのバイヤーのほうが値切ることもあるし、「そうは問屋が卸さない」と言われていたのが、「そうはスーパーが卸させてくれない」ということも現実に起っている。しかし、自分たちが価格の決定権を持つようになると、できるだけ高く売って収益をあげたくなるのが人情だから、スーパーを含めて大型小売店は消費者が定価に馴染んでくれるくらい有難いことはない。デパートはたいていメー力ーの定めた上代を守るが、スーパーにもスーパーの売価がある。メー力ーのきめた定価に対して、わざわざ、定価はいくらと書いて、それに×をつけて自分たちの売値を表示する。もちろん、その値段にも一定の利潤が含まれているが、ライバル店の売値を意識してつけられた値段である。一方、メー力ーのほうでも、スーパーがそういうやり方をすることをあらかじめ考慮に入れて値づけをしているので、定価とメー力ーの蔵出し値のあいだに値引きの余裕があるようになっている。もし消費者がその差をあまり気にしないようなら、
販売業者にバカ儲けのチャンスが残されている。デパートや商店街の小売店が一息つくことができるのも、消費者のそうした甘さが日本の場合はあるからである。
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