私に言わせると、日本人はきわめてプラグマチックなバランス感覚がある。大企業のなかにおける社長の地位は、日本のお祭りに担ぎ出されるお神輿の上に乗せられたご神体によく似ている。お神輿は担ぎ手の動きによって、上にも行けば、下にも行く。前にも傾けば、後にも傾く。右へ揺れることもあれば、左へ揺れ戻されることもある。そのたびにうまくバランスをとらなければ、たちまちお神輿の上からすべりおちてしまう。右へ右へと社員の総意が傾けば、社長も同じ方向についていかなければならないが、身体は反対の方向に重点を移さなければ、バランスをとることができない。もしそれを誤ってバランスが失われると、自分はたちまちふりおとされてしまう。社長は責任をとってやめさせられても、社員は終身雇用制で、やめさせることができないから、次にトッブに立たされた人は、同じようにこれらの人々にすべて仕事をあたえ、かつメシを食わせていかなければならないのである。
だから、どこの会社でも、成長期には向う見ずに従業員をふやしてきたが、少しでも業績の前途に暗雲が見え始めると、あわてて贅肉をおとしにかかる。新規の採用を控える一方で、子会社、孫会社をつくって、余剰人員をそちらへ移す。原則としてクビにはしないけれども、ひそかにクビにしたいと考えている連中を関連企業に移してしまう。また過剰人員を抱え込むと、のちのちまでたたるので、どんな仕事も社内ですることは避けて、外注に出したほうがトクな仕事はできるだけ外注に出すように切り換える。その代り外注先を自分の思いどおりに動かせないと、仕事に支障をきたす心配があるので、下請け企業や外注先の系列化に力を入れる。親会社と下請け企業の関係もまた社長と社員と同じように、親子の関係、すなわち家族社会の延長の上に築かれており、これが日本的生産のもう一つの大きな特徴になっている。
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