第698回
「天然鰻」の伝説を否定する
私は当初から「天然鰻」の疑問を声大きく訴えてきました。
「天然鰻」に拘っていると宣伝している
「尾花」、「野田岩」にしても、
メニューに載っていて主な客が食べているのは皆「養殖鰻」だ、
「天然鰻」を食べている人はほとんど居ない、
そして、「天然鰻」自体が本当においしいものなのだろうかと。
私の影響かどうかはわかりませんが、
高島屋の地下売り場の野田岩では、
大きく「国産養殖鰻」と「国産天然鰻」と
2種がはっきりわかるように明記されたことは
以前のコラムで述べました。
東麻布の本店でも、店内には張り紙で「本日は天然鰻入荷」と
普通の鰻重、うな丼は「養殖」であると
間接的に表記するスタイルに変わっておりました。
どちらも、私が指摘した、
出している(売っている)鰻が皆「天然」だと客に勘違いさせる
「きわどい商法」を改めてきたもので、
それなりに評価できると考えます。
しかし、私はここで敢えて
もう一つの問題をぶち上げてみたいのです。
本当に「天然鰻」はおいしいものなのかどうか。
野田岩やマスヒロさんは、
どんなものでも「天然物」がおいしいという理論のようですが
(マスヒロさんは冬の時期でも
野田岩はアイルランド産の天然を仕入れているというようなことを
『味のグランプリ』で書いていますが、
日本の天然と種が同じでしょうか)、
私がこの業界の方から教えていただいた話では、
おいしい天然鰻とは、産卵まえ、
海に戻るために河口付近に下ってきた鰻が
その地域の餌をふんだんに食べた直後、
もしくは上流には上がらず河口付近にずっと停滞して
餌をふんだんに食べた鰻だというのです。
なんでもかんでも川で獲った天然の鰻がおいしいわけではないと。
実際私は、野田岩で筏や中串、尾花で筏、大串をはじめ、
天然鰻で有名な前川、そして地方の店で色々食べましたが、
ほとんどといっていいほど、目から鱗というか、
おいしいと思った鰻に遭遇した記憶がありません。
どれも、香りは川魚ですが、
食感、味わいとも旨さを感じないのです。
前にも書きましたが、唯一良いと感じたのは小十の鰻、
そしてまだましかと思ったのは、最近食べた野田岩の筏だけです。
野田岩とマスヒロさんのコラボで、
養殖と天然の比較会を企画した時の記事を読んだことがあります。
両種を食べ比べさせ、どうだ天然の方がはるかにおいしいだろう、
と誘導する会でしたが、
確かに食べ比べれば香りというか風味はかなり違います。
よって、
「確かに風味や味わいがかなり異なる」
→「やっぱり天然はおいしい」
と勘違いするロジックに陥ってしまうのでしょう。
友里の親族に食べ比べさせても、
天然鰻=レアで高価でおいしいもの、
という先入観がありますから同じ結果になりました。
そこで私は提案したい。養殖を天然と偽るのは問題でしょうから、
養殖鰻を注文した(もしくは当然養殖鰻がでると思っている)
鰻好きの客に、黙って「天然鰻」を出してもらいたい。
できれば、街場の普通の店で、
野田岩の仕入れた天然鰻(産卵のための下り鰻などではない
普段出している天然鰻)を野田岩の職人が捌いて蒸して、
野田岩のタレで炭を使って焼き上げるのです。
「天然鰻」と「野田岩」という2つのブランド、
先入観を排除した「天然鰻」を
客は「養殖鰻」として食べるわけです。
おそらく、ほとんどの客が、
「変な臭いがする」、「脂が乗っていない」、「旨くない」
と感じることと私は確信しております。
本来、おいしいものはブラインドで食べようが結果は同じはずです。
しかし、料理に限らず、音楽でも演劇でもなんでも
ビッグネームとかブランドイメージの先入観で
人は感じ方が左右されてしまうものです。
「天然鰻」。
その神話を打ち立てることによって、
野田岩、尾花などは繁盛店にのし上がりましたが、
そろそろ「天然鰻神話」というもの自体を
見直してみる時期ではないかと私は考えます。
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