第494回
友里征耶のタブーに挑戦 その24
料理人のエピソードについて
よく雑誌やガイド本で
シェフや板長の経歴やコメントを見かけることがあります。
最も多いのが、
「小さいときに食べた・・・の味が忘れられなくて、
この道に入った」
というパターンです。
あの辻口氏も、小学校の3年生だかで
初めて友達の家でショートケーキを食べて、
そのおいしさにに感激。
七尾の老舗和菓子屋の息子だったのに、
それがきっかけで洋菓子の道へ進んだということになっております。
秋口でしたか、世界最大の発行部数を誇る、
あのナベツネの読売新聞では、
1面近くの特集で、
この経緯と、洋菓子修行へ出ていたときに
彼のお父さんが連帯保証かなにかで自己破産して失踪。
修行先ではいじめに会いながらも
世界的なコンクールで認められてブレイク。
マスコミに出まくったのは
失踪した父親へ今の自分を知らせたかったからで、
ようやく父親の消息を知ることができたとのこと。
長年の夢である、実家の和菓子屋の再興として
このたび同じ店名の和菓子屋をオープンした時、
父親へ招待状を送ったら、影で息子の晴れ姿を見に行った、
といったお涙頂戴のエピソードが満載でした。
数奇な運命の元に育った
世界的パティシエのように紹介されていましたが、
これってそんなに珍しいことなのでしょうか。
いまどき老舗の破産や家族の離反はよくあります。
天下の暴論ではありませんが、
男ならお涙頂戴のエピソードなんて人前にさらすな、
同情をかうことを嫌う矜持を持て、
というのは厳しすぎるでしょうか。
こんなエピソードはちょっと気恥ずかしいはずで、
掲載してくれるなと断るのが普通だと思うのですが、
店の宣伝のために泣く泣くオッケーしたのでしょうか。
しかし、このオープンした和食屋の経営が、
実は多店舗展開している会社の関連であるとは
新聞にまったく書いてありませんでした。
彼の幼少時は既に日本は高度成長を遂げた繁栄期のはずです。
その時代で、彼は家には池や鯉まであった
老舗の和菓子屋のボンボンとのこと。
そのような裕福な人が
本当に小学校に行くまで自分のうちの和菓子だけしか口にせず、
洋菓子を食べられなかった環境とは信じられません。
私の時代でさえ、有名な洋菓子屋の倅は、
和菓子も小さいときから食べておりました。
料理人のエピソードに限らず、
日経の履歴書でもそうですが、
世間受けを狙って脚色が入ってしまうことは
仕方がないことかもしれません。
出版するほうとしては、その方が売れやすくなりますから。
へそ曲がりな友里としては、
この手の逸話が引っかかって仕方ありません。
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