第24回
一般客は「特別料理」が食べられるのか
店や料理人がお客を完全に公平に扱い、
まったく同じレベルの料理を供することは不可能です。
同じ食材一つとっても良い部位と悪い部位がかならず存在します。
例えば魚なら腹側も尻尾側もあり、
良いほうだけを使うことは無理でしょう。
コストが高くなってしまいます。
好投手といえども、9回を全力投球できないのと同じで、
料理人もすべての客に全力で
集中力を維持して料理を供しつづけることはできないのです。
どこかでメリハリをつけなければなりません。
では、サイレントマジョリティーである我々一般客が、
果たして山本益博氏たちのように
同じ努力をすることが出来るでしょうか。
答えはノーです。
時間的、そして経済的な問題から、
同じ店に毎週、もしくは週に何回も通うことは不可能です。
勿論この業界に所属していない一般客は、
取材と称して料理人に近づくことも出来ません。
たびたび訪れる事のできないお店に夫婦や家族で行った時、
一般客はどうしても違う料理を頼んでみたくなるものです。
夫婦や恋人といえども食材の好みが違う場合もありますし、
折角の訪問ですから色々な料理を見てみたいと思うのは心情です。
評論家やフードジャーナリストのように、
取材費や生業としての評論活動の必要経費として
落とせる立場にない一般客は、そう頻繁には店へ通えないのです。
よって通ぶるオーダー術もできません。
百歩譲って一般客が料理人に接近、
認められたとしても彼等料理人は食材の部位差、
集中力のメリハリをどこかでつけなければならないので、
新たに別の方法で客の選別に入るでしょう。
評論家たちもまた違った目立ち方を考えいくことでしょう。
いたちごっこです。
一般客は個人の努力で
料理評論家やフードジャーナリストになるか、
多大の出費をして常連にならないかぎり、
現在世にでている実名取材の評価本が対象としている
「特別料理」を拝むことはできないでしょう。
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