女が男の職場に進出し、男の仕事場がどんなものであるか理解するようになれば、男がどういうことで悩み、また男がどうして家へ真直ぐ帰らずに、赤ちょうちんに寄ったりするのかわかるようになるのではあるまいか。「男は力持ちで強い」と思うのは間違いで「力持ちである」かもしれないが、決して「強い」とはいえない。その証拠に、女房に死なれた亭主は、再婚でもしない限り、あまり長生きをしないが、亭主に死なれた女房は八十歳まででも九十歳まででも長生きしている。女は男がいなくとも生きて行けるが、男は身のまわりの世話をしてくれたり、心の支えになってくれる女がいなくなると、ガックリきて二年か三年で死んでしまう。だから、男は長く連れ添ってきた古女房から三下り半をつきつけられることに、極端な恐怖心を抱くのである。
しかし、女が経済力を握り、女の発言権が強くなるのを防ぎきれないとすれば、新しい条件の下で、男と女が共存できる新しいルールを発見するよリほかない。でなければ、人生の結婚を、推理作家の故・木々高太郎氏の主張したように、二回あるいは、それ以上やる覚悟をきめなければならない。若い男が中年の女と結婚をし、中年になってからまた若い女と結婚しなおすのは、理屈としてはなるほどと思っても、人間には感情もあるし、うまくその年になってから相手が死んでくれないという現実もある。だから、やっぱり同じ人と結婚して、できれば、死ぬまで一緒という従来のパターンの方が無理がない。それには、男が女の仕事の邪魔をするよりも、男が女の仕事の相談相手になってあげられるくらいがよい。
また男が稼いできたお金で女を養っていると思うよりも、男にも女にも収入の道があって、それをどういう具合に共有し、または、分け合うか、お互いに納得のできる方法をきめておく方がよい。男も女もお互いに相手を養ってやっているという思い上がりがなく、また養ってもらっているというひけ目がなかったら、お互にもう少し譲り合いの精神も生まれてくるのではなかろうか。 |