文字賞になるような作品を書く時間のない人でも、仕事の合間をぬって、酒を飲みに行く時間はある。愛人のいる人なら、愛人との逢瀬を楽しむ時間もある。どんなに忙しい社長だって、忙しい忙しいといいながら、ちゃんと妾宅に寄っているのだから、忙しいというのは、その人にとってそのことに使う時間はないというだけのことであろう。だから、面会を申し込んで「忙しい」といって断られるのは要するに「あなたに会う必要は認めない」ということなのである。
サラリーマンの中にも「忙しい忙しい」といってとびまわっている人があるが、「本当に忙しい」のか「要領が悪くて忙しい」のか、「目的があって忙しい」のか、「漫然と忙しい」のか――
よく検討してみる必要がある。
たとえば、朝五時におきて用意をしないと、九時の出勤時間に間に合わない人は、自分の家から会社に行くまでに小三時間かかる勘定だから、一日二十四時間のうち四分の一を通勤に使っていることになる。この六時間のうち、電車の乗りつぎや徒歩に一時間使うとして、残りの五時間は乗り物の中で揺られている勘定になる。
乗り物の中にいる間が、たとえば、グリーン車に乗っていて、座席もちゃんと確保されていて、座りながら読書なり仕事なりのできる人はそれでよい。しかし満員電車の中で押し合い、へし合いする以外に方法がないとなると、この間中、ずっと体力の消耗をするだけで全くの時間の浪費だから、そういう人に「忙しい忙しい」といわれても「ああ、そうですか?」とまともに取りあってなどいられない。
拘束された時間をうまく活用できる人はよいが、拘束されたらそのまま無駄になってしまう人は、拘束時間をなるべく短くするように工夫しなければならない。通勤時間はその中でも最も工夫を要するテーマで、「どこからかよっていますか?」ときいただけで、その人の人生態度のおおよその見当がついてしまうのである。
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