「仙人の思想」に学ぶ生活態度
そこで中国人は「仙人」という空想の世界に生きる人間を想定した。
死後の世界は仏教が支配しているが、「仙人」の世界は生死を超越した存在であるから、死ぬということがない。死ぬことなく、生き続けるとしたら、人は必ず年をとる。従って、中国人の空想の中に出てくる「仙人」は、必ず年をとって白い鬚を長く垂らしている。また年をとっているから、あまり食欲がなく、中華料理のような蛋白質の多い食事はしていない。山の奥に住んでいて、多分、山菜か豆腐のようなものを食べていると思うのだが、カスミを食べて生きていることになっている。天地自然と共に長く生きるとなれば、山にカスミがかかっているように、またカスミが山から消えてなくなるように、もしくはカスミが消えてなくなるのは山がそれを食べてしまうからと空想して、永遠の存在にあこがれているのである。
もう一つ、山の奥に仙人を訪ねて行くと、必ず門をひらいて客と応接するのは、童子ということになっている。
私には全八巻に及ぶ『西遊記』というモダンな作品があるが、そのタネ本になった呉承恩という人の『西遊記』を読むと、孫悟空が一跳び十万八千里の仙術を教えてもらうために、仙人の洞窟を訪ねた時も、やはり、童子が現われる。童子というのは、落語家や講談師の家でゴロゴロしている若い衆みたいなものであろうが、仙人の洞には女気はない。女気がないのは、仙人が年をとってもう女に用がなくなったからか、それとも女にかかわっていては仙人になれないからなのか、あるいはまた仙人になると稚児趣味に転換するのか、いろいろと空想妄想をする余地を私たちに残してくれているが、とにかく仙人のすくそばには、森茉莉さんの小説に出てくるよような美少年が控えているのである。 |