わが処女出版の思い出
たとえば、私は本を書く職業を、もう、かれこれ三十年続けているが、一冊目の単行本ができあがった時の感激をまだまざまざと覚えている。
私が東京へ戻ってきたのが昭和二十九年四月で、そのすぐあと「大衆文芸」という同人雑誌に書いた『濁水渓』という小説が檀一雄さんの目にとまって、檀さんから「出版の世話をしてあげましょう」と電話がかかった。その好意に甘えて、現代社という、もう今はつぶれてなくなった小さな出版社から私の『濁水渓』という単行本が出版されたのは、同年秋のことであった。
その一冊目が出版社から届けられてきた時、私は自分の本に釘づけにされてしまった。
他人の著者名のついた本はいくらも見たことがあるが、自分の名前が著者名のところに印刷してあって、なかをひらくと自分の書いた文章が印刷されている。私は自分の子供が生まれた時よりも、もっと不思議な気分に包まれ、いとおしい気持ちで一杯になった。本の表紙から中身の一頁一頁をなめるようにさすり、閉じ目についた布地の色から紐の長さまでいちいち話題にして家内から笑われた。もちろん、夜はそれを枕元において身辺から離さなかった。
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