日本では政治の批判は日常茶飯時で、小説家の火野葦平氏が九州独立論というのをぶちあげたこともある。しかし、中国のような独裁政治の国で、こういう動きをすれば叛逆罪に問われ捕まれば、銃殺にされかねないから私は取るものも取りあえず、飛行機に乗って香港へ高飛びをした。二十四歳で、金もなく、友人もなく、学歴も役に立たず。一人、香港におっぽり出された私は、飢えをしのぐために活路をひらくよりほかなく、ベッドに入っても朝まで一睡もしないような日を送ったが、「窮すれば通ず」の格言通り、何とかどん底から這いあがることができるようになった。共産党の進撃により大陸から避難してきた難民たちの溢れる当時の香港で見ききしたことを材料にして書いたのが、直木賞を受賞した私の「香港」という小説であるが、主人公に日本人が一人も登場してこない小説で審査員たちの賛同を得られたのは、考えてみれば、きわめて幸運なことであった。今日でこそ日本人の活躍舞台が全世界に広がり、小説の舞台も国際化したが、あの頃はまだ日本人は日本的な義理人情にこだわって、他をかえりみる余裕のなかった時代である。
私の作品が受賞の対象になったのも、私が銀行づとめを途中で放棄して亡命者として香港で六年間、スリルのあるギリギリの体験をしたからであるが、その時の体験が役に立っただけでなく、国際都市に住んだことが国際的に物を見ること ―― 即ち一つの国の経済や文化を観察するのに他と比較したり、アウトサイダーとして見る習慣を身につけたことが私を益したのである。今なおこの競争の激しい日本のジャーナリズムに何とか生き残っておられるのも、もとをいえば、私の辿ったこうした尋常ならざるコースに鍛えられたせいであろう。
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