「寝食を忘れる」仕事につく
しかし、「寝食を忘れる」ほど熱中するためには、何よりもまず、そういう情熱を傾けるだけの値打ちのある対象を見つけることが先決であろう。
五時の退勤時間が来るまでに、時計を十回も十五回も見るような、熱の入らない職についていたのでは、現在従事している職業で「寝食を忘れる」ことは不可能である。つまり時間をいかに合理的に使うかを考えるよりも、時間を短く感じさせるような仕事を見つけることのほうが先決なのである。
そうした仕事を見つけるために努力をしなければ「寝食を忘れる」ことはできないのである。
ところが、世の中の人たちを見ていると、そういう努力をしている人は意外と少ない。学校を出る前から、自分はこの仕事にきめたと考える人もたまにはあるが、大半の人たちはまず就職先をきめ、就職先がきまってから、この仕事が自分に向いた仕事かどうかテストする。その結果、自分に向かないことがわかったら、転職するかというと、日本の一流企業は中途採用を認めないのがほとんどであるから、会社をやめることは正規兵からゲリラ隊に転落することを意味し、それだけの覚悟のできていないものは、不本意ながら一ぺん投げられた賽の続きをころがっていくことになってしまうのである。
しかしはじめからこれこそ自分の天職ときめた仕事でもそれが一生の天職になるとは限らないし、まして西も東もわからぬままに就職した若者が、偶然に採用された会社で偶然に配置された部署の仕事を自分の天職と思い込んでしまうほど楽天的であり得るかどうか疑問であろう。
そういう人が与えられた仕事を義務的にやっていくだけとすれば、仕事は生活をしていくための手段にすぎなくなるから、仕事に使う時間はこれだけ、また酒を飲みにいく時間はこれだけで、パチンコ屋にいく時間はこれだけという時間割ができあがる。
ところが、もし自分の全時間を打ち込んでもよいような仕事が見つかると、途端に時間が足りなくなってしまう。だから「時間のあまる生活をしている人」と、「時間の足りない生活をしている人」とは、同じ地球上に住んでいても、実は次元の違う世界に住んでいる人だといっても過言ではないのである。
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