きっと私はつまらなそうな顔をしていたのだろう。というより本当につまらなかったのだと思う。せっかくお金を払って楽しみに来たのだから、こんな時くらいわいわいがやがややっておればよさそうなものだが、私にはそれができなかった。やっぱりこの中で一番もてないのは自分だなあ、と思いながら、私は時間がすぎていくのを待っていた。やがてラストがきて「ではお勘定を」と私が内ポケットに手を突っ込むと、いままで相手にもなってくれなかったダンサーたちがいっせいに私のそばへ寄ってきた。誰がお金を払う人かわかった途端に、いままでもてなかった私が一番もてる人に早変わりしていたのである。
「百年の恋も醒めちゃうなあ、あんなところを見せつけられちゃ」と外に出た若者たちは口々に言った。しかし、一番興ざめなのは、ずっとみなが楽しんでいるのを見ていた私のほうだった。私がいくらもてたといっても、私がもてたわけではない。お金がもてただけのことである。
私はお金を使うことにそんなに夢中になれなかった。二十代に稼いだお金は身につかないときかされていただけに、なんとかお金の残る方法はないものかと考え、自分の収入の十分の一以下で生活をすることにした。実際、そのとおり実行したので、たちまち金回りがよくなった。まだ二十六歳になったばかりで、人生の経験も浅かったから、もしかして自分は大金持への道を歩んでいるのではないかとひそかに胸を躍らせた。いまの自分は月に百万円くらいの収入はある。学校時代の友人たちは、一流銀行とか大蔵省に勤めているが、サラリーはせいぜい二千円か三千円だ。この調子でお金ができたら、一年に一千万円くらいはお金が貯まる。もう少しスケールを大きくして事業を拡大していったら、億のお金になるのも、そんなに先のことでないかもしれない。
まだ三十歳前の身空で億のお金がもてるようになったら、将来指折り数えられる大富豪の仲間入りをするかもしれない。台湾を別の国にするという賭けには失敗してしまったけれども、こうなったら長期戦でいくよりほかない。ゲバラになることにはならなかったけれど、ゲバラのスポンサーになることならできないことはない。と想像を逞しくして、夢は無限にひろがったが、そんなことが長く続くわけはなかった。それを悟るのにそんなに時間はかからなかった。もっとも、それはもう少したってからあとのことである。
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