花嫁のいない結婚初夜 にわか頭家(タウケイ)となり、無限にひろがる夢

香港というところは、一言でいえば、お金の世界である。お金さえあれば、欲しい物は何でも手に入る。貧乏な時はガマンにガマンを重ねた私だったが、お金があるようになると、お金で買えるものは何でもひととおり買ってみた。
ずっとのちになって、車はロールス・ロイス、腕時計はパテック・フィリップか、ピアジェといった贅沢にもなれてしまったが、その時はオースチンの自家用車を持てただけでも有頂天になった。また腕時計はシチズンからシーマに代わっただけで、何階級も特進をした気分になっていた。洋服についても香港で一番と言われていたマッキントッシュというイギリス人の経営するテーラーで仕立ててもらった。靴は龍子行(リヨンツウホーン)に行って、アメリカ製のフローシェイムを買った。まだテストー二とか、タニノ・クリスチーといったイタリア製が輸入されておらず、靴といえば、あのカカトの重いフローシェイムが幅をきかせていた時代であった。そんなダンディな服装をする人は、香港にもそうたくさんはいなかった。それは私が人一倍おしゃれだったからではなくて、思いもかけず不自由をさせられ、欲求不満の塊りみたいになっていたからであった。
私はまた誘われるままに、ダンスホールにもかよった。若くして金回りがよかったので、みなからちやほやされ、台湾から留学に来ていた学生たちから、頭家(タウケイ・旦那)と呼ばれるようになっていた。頭家と呼ばれたからには、みなを連れて遊びに行った時は、会計係もつとめなければならない。ある晩、すぐ近所に新しく開業した古巴(キュウバ)というダンスホールに出かけた。一緒に行った連中は、一人一人にダンサーがついてジルバやタンゴを踊った。みな若くてハンサムで、踊ることには積極的だった。私も誘われればホールに下りたが、誘われない時は椅子に坐って所在なげにみなの踊るのを眺めていた。

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