徹夜で国連請願書の草案を書く

さて、銀行の研究室に籍をおいて、猛烈なインフレを物ともせず、博士論文の執筆ができたのは、銀行の待遇が予想外によかったからであった。物価に比例して、公務員の待遇はくりかえし調整された。銀行の待遇は公務員に準じていたので、その度に月給が上がった。その上、二ヵ月に一ペんは、サラリーに相当する額の臨時ボーナスが支給されたので、銀行員の収入はエリートのトップを行っていた。もし私が立身出世を願うただのサラリーマンなら、銀行はこの上もなく坐り心地のよいポジションであった。しかし、私にはどうしても台湾から脱出したいという抜きがたい欲求があった。
さきにも述べたように、二・二八事件の時に偶然、上海に出向いていた廖文奎、廖文毅兄弟は、その行動から見ても、二・二八事件とは直接何のかかわりもなかったが、行政長官公署が貼り出した通緝令によると、民衆を煽動した元兇として逮捕の対象になっていた。兄の文奎博士のほうはそのまま南京大学に残って教鞭をとっており、弟の文毅氏はうっかり台湾に帰ってくるとお縄ちょうだいになるので、上海から、国民党の官憲の手の届かない香港に移ったと風の便りにきいた。私は文毅さんの消息がききたくて、東門の近くに住んでいた二人の甥にあたる廖史豪さんを訪ねて行った。
廖文毅さんが上海から香港に亡命したのは事実だった。「これから何をやろうとしているのですか?もしかしたら台湾を大陸から引き離す運動……?」
と私が小声で言うと、
「シーッ」と史豪さんのお母さんが私の発言を止めた。「もうとっくにそういう決心をしたのですよ。自治の要求を出してもまったくきき入れてくれないのですから、そうする以外に方法はないでしょう。いま人を集めています。あなたも香港に行ったらどうですか?」
女の人は時とすると、男よりずっと大胆不敵である。のちに史豪さんもその弟さんも警備司令部につかまり、長い間、監獄に入れられたが、お母さんのほうは無事だった。悪いことをやるのは男ときまっていて、女はいくらそそのかしても、自分が直接行動しなければ罪にはならないのである。
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