| 第50回商品学(ベトナム編)
 5.ベトナム陶磁II
 ―小林一三も家康もみんなあこがれた安南茶道具
 日本人は陶器好きだと多くの人は言う。その底流に茶の湯文化がある。
 自分の気に入った茶碗で茶を一服いただくと、
 ほのぼのとした喜びがわいてくる。
 両手で茶碗を抱え、茶を喫する文化は
 恐らく日本だけであろう。
 少し距離を置いて見つめてみる。日本人の陶器好きということは、
 用いるということに
 ある種の価値観を置いているように思われる。
 だから商売をやっていても
 徳利とかグイ呑み、茶碗や香合など使えて楽しいもの、
 それに加えて時代があるものに人気が集まる。
 さらに伝世とか著名な歴史上の人物が所持していたなどの
 付加価値が加わると、とてつもない値段が付くようになる。
 ヨーロッパのように単純な鑑賞一辺倒ではないのだ。
 そんなわけでベトナム陶磁についても
 茶の湯に用いられる器が良く売れる。
 安南絞手茶碗と呼ばれる染付で高台が高い茶碗がある。このタイプのコンディションの良いものは
 一碗70〜100万円近い値のつくものがある。
 何故そんなに高いかと言うと、
 江戸時代に日本に渡って来て
 大名家や豪商に大切にされていた茶碗がある。
 それを幕末頃に著名な陶芸家達が写して
 非常に人気を博したのだ。
 まだ議論の余地はあるが、
 蜻蛉をデザインした茶碗なども
 その手のものではないかと僕は想像している。
 茶の湯は桃山時代頃に利休という天才的な茶人を生み、様々な国の陶磁器や漆、金工作品を茶の空間に囲い込んだ。
 それは南蛮貿易という交易の中から生まれたものである。
 ベトナムの陶磁器もそのような背景から
 茶の湯に取り入れられるようになったのである。
 写し物を数多く製作したために、
 貴重な南海交易品の安南絞手茶碗(本歌)が有名になり、
 それを強く求める風潮が幕末頃出来上がった。
 その多くの茶人があこがれた
 安南絞手茶碗を見つけたエピソードを紹介しよう。
   
           
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            | 14、15世紀 安南染付鉢 |  |