誰が日本をダメにした?
フリージャーナリストの嶋中労さんの「オトナとはかくあるべし論」

第118回
待って甲斐なき主婦の道

主婦道とは待つことと見つけたり
――これが主婦道の極意である。
学校から塾から帰る子を待ち、いつ帰るとも知らぬ夫を待つ。
子供の一流大学合格の通知を待ちつつ、
夫の昇進を一日千秋の思いで待ちこがれる。
男から会社を取れば何も残らないように、
主婦から待つことを取りあげたら、それこそ何にも残らない。
子供が小さいうちはいい。
幼稚園や小学校から帰ってくれば遊び相手にもなってやれるし、
「お母さん、今日のおやつは何?」
と心待ちにされれば、
おやつのクッキーづくりにも自然と熱が入る。
待ったぶんだけの喜びが必ずそこにあって、
自分が必要とされていることを日々実感できるからだ。

だが、そんな幸せは長くはつづかない。
いくらこっちがかまってやりたくても
子供は成長と共に親から離れていく。
小学校高学年にもなると、買い物に誘ってもついてこなくなるし、
一緒に遊ぼうと声をかけても
友だちと約束があるからと袖にされてしまう。
子の親離れと親の子離れが
同時並行的に進行してくれれば問題はないが、
往々にしてどちらかの進行が遅滞する。
知り合いの一人娘はもう高校生になったのだが、
母親は子離れができず、
朝の登校の際にも、娘が途中で拐かされやしないか、
車に轢かれやしないかと心配でたまらず、
「お母さん、もうついてこないで」
と娘がイヤイヤをしているにもかかわらず、
黙っていつまでもついていく。
これじゃまるで悪質なストーカーだ。

夫はといえば、残業だ接待だと、相変わらず家庭を顧みず、
すっかり「夜の訪問者」が板に付いてしまった。
帰る見込みがないとなれば、料理に手をかけることさえ厭わしく、
買い物をしても
ついできあいの惣菜や調理済食品に手が伸びてしまう。
たまたま夫が早く帰宅すれば、
お帰りなさいの一言もなく、
「あら、やだ。あなたの分ないわよ」
とつれない科白を浴びせかける。
この女房が、新婚のころは出張に行くというたんびに
「行かないで!」とすがって泣いたあの同じ女なのかと、
あまりの変わりように呆然とする。

妻にだって言い分はあろう。
妻として母として、
夫や子供の生き方に自分を合わせているうちに、
自分が何をしたいのか、
どう生きたいのかがまるで見えなくなってしまった。
かくして、待つ側も待たせる側も不満ばかりがふくらんで、
「こんなはずではなかった」
とやるせない吐息を洩らすのである。


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