誰が日本をダメにした?
フリージャーナリストの嶋中労さんの「オトナとはかくあるべし論」

第115回
単調な生活はお好き?

毎日の献立を考えるのはしんどい。
というよりホトホト倦きてしまった。
20年も同じことを繰り返していれば、泉も枯れるというものだ。
が、たとえ倦きあきしていても手抜きはできない。
曲がりなりにも兼業主夫を標榜している以上、
おさんどんのプロなのだから、
職責だけはまっとうしなくてはならない。
と思いつつも、本音は楽をしたい。
女房や子供たちには、いっそペットフードでもあてがって、
素知らぬ顔をしていたいのだ。

昔の主婦たちは、
単調な生活の繰り返しの中にささやかな喜びを見出していた。
食材だって今ほど豊富ではなかったし、
料理のレパートリーだって限られたものだった。
実際、私の母の料理を思い出しても、
レパートリーは私の10分の1もなかったはずだ。
だから、食膳にのぼる料理はいつも変わりばえがしなかった。
それでも「料理がマンネリ化してるよ」
などと注文をつける者はいなかったし、
そんな贅沢をいえる時代でもなかった。
毎日、やることは同じ。
炊事洗濯に拭き掃除。
鍋釜を磨き、床を乾拭きし、柱に磨きをかけた。
それが主婦たる者のつとめで、女の甲斐性でもあった。

今は違う。
単調な生活の繰り返しに喜びを見出す者はまれになった。
どうかすると余暇活動に無関心な人間は
無能呼ばわりされたりする。
女の甲斐性も変わってきたのだ。
料理は作りたくない。
鍋釜を磨くのもいや。
拭き掃除なんて願い下げとくれば、
いったい何がしたいのだという話になる。
しかし面と向かってそのことを質されると、
主婦は困惑するばかりだ。
自分にもそれが何であるかがわからないからだ。
わかっているのは今の生活に張り合いがなく、
このままでは錆びついてしまう、という危機感があるだけ。
各種のカルチャー講座をはしごする
“カルチャー渡り鳥”が出現する背景には、
そんな主婦たちの漠たる不安がある。

なるほど職場で丁々発止とやり合っている人生は
複雑そうに映るかも知れない。
しかし彼女たちが家庭を守る主婦たちより
上等な人間であるとは限るまい。
人生という物差しで測れば、
どう転んだってお互いちょぼちょぼに決まってる。
主婦であろうと、キャリアウーマンであろうと、
錆びつく人間は錆びつくのだ。
生活が単調であるかないかは、まったく別問題なのである。


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