第91回
草莽に生きる (その一)
自慢ではないが、私はとんと金に縁がない。
物書きは一部の売れっ子は別にして、
昔から貧に甘んずるものと相場が決まっているそうだが、
それにしてもひどすぎる。
そしてまた残念なことに、
これからもずっと底値安定で推移しそうな雲行きなのだ。
恒産なきものは恒心なし。貧すれば鈍する――
古人はよくいったものだ。
なるほど近頃は、精神がのべつ変調をきたしている。
わが家は粗衣粗食を旨としている。
といっても貧乏ったらしく生活しているわけではない。
要らぬ出費は極力抑えるが、使うべきときには景気よく使う。
しみったれがきらいなのだ。
私の酒代などは要らぬ出費の最たるものだから、
いの一番に削ってしまえ、という声がないわけではないが、
酒なくて何の己が桜かな。
この世知辛いご時世に、
酒飲まずしてどうやって生きよというのか。
唐突ながら、私は藤沢周平が好きだ。
いわゆる『用心棒シリーズ』や『隠し剣シリーズ』、
『蝉しぐれ』に『三屋清左衛門残日録』、
文体はどれも端正でしなやか、
詩情にあふれ、上品なユーモアにくるまれている。
まるでビル・エバンスの
リリカルなピアノを聴いているような趣なのである。
また藤沢は私の住む町の隣町の住人でもあったから、
よけい親近感をおぼえた。
その彼が『周平独語』の中で、こんなことを言っている。
《私は所有する物は少なければ少ないほどいい
と考えているのである。
物をふやさず、むしろ少しずつ減らし、
生きている痕跡をだんだんに削りながら、
やがてふっと消えるように生涯を終ることが出来たら
しあわせだろうと時どき夢想する。――》
かっこいいですな。
ふつうの人気作家がいうと気障に聞こえるが、
藤沢がいうと実にサマになる。
これはそこそこの金持ちだから活きる科白で、
私のような貧乏人がいってもただ失笑を買うだけだ。
実際、藤沢は超のつくほどの人気作家であったが、
豪邸にも豪遊にも縁がなく、無欲恬淡と生き、そして逝った。
晩年の顔は、
齢を重ねた男の顔としては出色の出来ともいえるもので、
なんともいえぬ透明感と哀愁があった。
(あんな顔の男になりたい……)。
私は痛切に思った。
藤沢は架空の海坂藩を舞台に、
名もない下級武士を好んで描いた。
生涯、草莽の士を描き続け、自らも草莽に生きた。
当代並ぶ者のない文章の名手は、生き方の名手でもあった。
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