| 第83回あぶくのような言葉
 女のおしゃべりを「まるで“あぶく”のよう」と形容した友がいる。
 沼の底から立ちのぼってくるメタンガスみたいに、
 ほとんど前後の脈絡もなく、
 生まれては消え、消えては生まれてくる。
 議論慣れしている男たちは、
 少なくとも理路整然を心がけるが、
 女たちは『徒然草』序段の一条みたいに
 《心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく》
 しゃべりつづけてしまうため、
 それこそ収拾がつかなくなってしまう。
 女の話が空疎に聞こえるのは、思っていることとしゃべっていることが、
 時に別物だったりするからだ。
 口から飛び出してくる言葉の中には、
 心とは別の発生装置から出てくるものもあり、
 真に受けたりすると、とんでもないことになる。
 とりわけ
 「カッワイイーッ!」とか
 「おいしーい!」といった感覚語は、
 条件反射的に発するあぶく言葉の典型で、
 実体はほとんどないに等しい。
 でなくては、単なる百貫デブの小錦のダンスを見ただけで、
 「カッワイーイッ!」と嬌声を発するわけがないからだ。
 単なるボキャ貧ではないのか、という声もないではないが、女の頭の中には感覚語に関するフォルダが一種類しかなく、
 その中に収められているファイルは、
 「カッワイーイッ!」と
 「おいしーい!」と
 「すごーい!」の三つしかない。
 その証拠に、グルメや旅番組のレポーターと称する女たちは、
 何を見ても「すごーい!」と大げさにのけぞるし、
 どんなゲテモノを食べさせても
 「おいしーい!」と安っぽく感動してくれる。
 活け造りの魚を口に入れた瞬間、
 この「おいしーい!」を連発されると、
 こっちまでのけぞってしまう。
 うま味を感じさせるイノシン酸は
 死後硬直が始まるころに出てくるもので、
 タイなどは〆てから10時間後くらいがピークとされている。
 つまり魚の活け造りは、歯ごたえこそプリプリしているが、
 土台うま味を感じられるわけがないのだ。
 いずれにしろ、レポーターたちがボキャ貧で、嘘つきで、味盲であることは
 間違いのないところで、
 あの程度の連中に褒められても店の名誉でもなんでもなく、
 かえって安っぽく見られてしまうことだってあり得る。
 一方で、あぶくのような言葉の流行こそ
 薄っぺらな世相にふさわしい、とする穿った意見もある。
 どっちにしろ、たいした世の中ではないのだ。
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