第53回
人は見かけによる (その一)
中学高校とつめ襟の学生服に学生帽だった。
このつめ襟がたまらなくいやだった。
襟の内側にカラー(collar)と呼ばれる
薄いプラスティック製の板を装着するのだが、
このカラーが首筋に当たったときの感触が
何ともいえずいやだった。
冬の朝などはゾクッとするほど冷たく、
念入りにストーブで暖めてから着けたものだ。
いったいだれがこんな難儀なものを発明したのだと、
私は六年間呪い続けたものだ。
で、高校も上級生になると、
多少ツッパリ心が出てきて、
こっそりカラーを外し襟元をはだけて登校したりするわけだが、
運悪く生活指導の先生に見つかると、
その場でこっぴどく叱られた。
私の出た高校は県下有数の進学校で、
公立校ながら校則は厳しかった。
襟元が少しはだけた程度のツッパリなら、まだ可愛げがある。
近頃の高校生の服装は、
女子は太もも露わで、厚化粧の娼婦ルックそのものだし、
男子はヒップホップ系ファッションの影響なのか、
茶髪ピアスにズボンをだらしなくずり下げ、
ネクタイもシャツも胸まではだけ、
何やら鎖みたいなものをジャラジャラさせ、
踵をつぶした靴でペタペタ歩く。
道行くその表情は痴呆のごとく、教養のかけらも感じさせない。
酷なようだが、
これほど醜い存在は古往今来未曾有のものといっていいだろう。
映画『チップス先生さようなら』を見たことがあるだろうか。
19世紀後半のイングランドが舞台。
ピーター・オトゥール扮するラテン語の先生が
全寮制のパブリックスクールに
転任してくるところから話が始まるのだが、
寄宿舎生活をしている生徒たちが断然カッコいい。
英国のパブリックスクールは
上流階級子弟の教育機関として知られ、
イギリス紳士道を修業する場でもあるが、
彼らの身だしなみが、
一点非の打ちどころがないくらいすばらしいのである。
日本の公立校生徒とイギリスの伝統私立校生徒を
比較することにそもそも無理があるといわれそうだが、
かつては日本にも姿勢正しく
心映えのさわやかな青年たちが存在した。
彼らはいったいどこへ行ってしまったのか。
人は見かけによらぬと世間はいうが、ウソっぱちである。
服装は精神の写し鏡で、人は見かけによるもの――
と、つむじ曲がりの私は、
ほとんどこのことを確信している。
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