| 第33回美しすぎる言葉 (その一)
 近頃、とんと見かけなくなったが、昔は門柱や玄関先などに
 「世界の人々が皆平和でありますように」
 といった内容の貼り紙をした家をよく見かけた。
 誰も文句のつけようのない言葉に出くわすと、
 人は一瞬戸惑うものだ。
 私などは困惑を通り越して、たちまち不愉快になってしまう。
 美しすぎる言葉がきらいなのだ。
 相田みつをもきらい。「しあわせは いつも じぶんの こころが きめる」
 といった人生標語風の色紙もいやらしい。
 あんなものをやたらとありがたがり、
 客席の壁といわずトイレといわず、
 額に入れて飾っているレストランがあったが、
 悪趣味というべきで、まったく気が知れない。
 「地球にやさしく」だの「命は地球より重い」といった
 美辞麗句の類と同じで、美しすぎて、どこか気味がわるいのだ。
 それにあの、俗臭ふんぷんたる筆跡のわざとらしさ。
 見え透いているのである。
 この手の標語は何の効力も持たないから、単に無視すれば済むことだが、
 車で旅行中、どこかの町はずれに
 「○△市平和都市宣言」などと大書きした、
 啓発用の塔や横断幕を目にすると、ついムカッ腹を立ててしまう。
 わざわざ血税を投じて、
 こんな宣言塔を建てることにいったい何の意味があるのか。
 田舎のちっぽけな町が
 核兵器廃絶平和都市宣言をしたからといって、
 それがどうしたというのだ。
 「そんなことないわよ。世界中の人々がひとり残らず平和を願い、
 核の廃絶運動に賛成してくれれば、
 恒久的な世界平和がきっと訪れるわよ」
 どこからか、こんな声が聞こえてきそうである。
 こうしたおめでたい考えに賛意を表するのは、
 おおむね女性たちだ。
 女性は基本的に暴力を憎み、平和主義者で、
 何ごとであれ話し合いで解決しようとする。
 それどころか、解決できると信じているフシがある。
 暴力反対、戦争反対なんてお題目は、どう転んだって交通安全の標語程度にしか聞こえない。
 そもそも「核兵器廃絶」に反対する者があるだろうか。
 少なくとも表立ってはあるまい。
 だとすれば、この標語は
 「雨が降る日は天気がわるい」と同じくらい
 当たり前で意味のないものなのである。
 美しすぎる言葉、文句のつけようのない言葉には、
 気をつけたほうがいい。
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