誰が日本をダメにした?
フリージャーナリストの嶋中労さんの「オトナとはかくあるべし論」

第30回
オンナの先祖返り

《いま女性の顔は大変なスピードで変化している。
 人間の顔に動物性が大きく入り込んで来ているという感じである
 …(中略)…まさに超スピードで進化を逆行し、
 人から動物に変わりつつあるという感じだが、
 動物だけではすまないで、
 人造人間を作っているのかもしれない》(『春宵十話』)

こう嘆じたのは数学者の岡潔博士だ。
博士は日本女性の顔の変化を《未曾有の国難》と憂え、
その原因は戦後アメリカからもたらされた教育にあるとした。
日本は昔から情緒の中心だけは健在であったが、
その日本的情緒が汚されてしまった。
博士はいう。
《人は動物だが、単なる動物ではなく、
 渋柿の台木に甘柿の芽をついだようなもの、
 つまり動物性の台木に人間性の芽をつぎ木したものといえる》。
しかし成長を急がせたばかりに、
動物性の芽ばかりが生育してしまい、
戦前の女性とはかなり顔つきの異なる
新種の女性ができてしまった。

『春宵十話』は昭和38年、今から42年前に刊行された本である。
昭和30年代といえば、私はまだ小学生。
小川にはどじょっこやふなっこがいて、
蛍もいっぱい飛んでいた。
夕暮れ時になると、
遠くから豆腐屋のラッパの音が聞こえてきた。
日本中がまだ貧しさを引きずっていたが、
人々の表情は明るく、今でもあの頃に戻りたいと、
時々思うことがある。

そんな昭和のよき時代であったのに、
岡博士は女性の顔の変化を見て、未曾有の国難と嘆いた。
40年以上も前に国難であったのなら、
つい最近まで渋谷あたりに棲息していた
“ガングロ”なる生き物を見たら、
博士はおそらく卒倒し、
世を儚むあまり死んでしまったかも知れぬ。

今時の若い女性ときたら、
動物性が入り込むどころの騒ぎではない。
すでに動物と化している。
ならばどうやって人間性を回復したらいいのか。
博士はいう。
子供の頃に、ごく美しいもの、ごく口調のよいもの
(美しく書かれた歴史や藤村、晩翠の詩など)を覚えさせろと。
《前にさしたる花櫛の、花ある君と思ひけり……》。
今の時代にこの清純な慕情を感じ取れる人間が、
はたして何人いるか。
岡博士にはまことに気の毒だが、
情緒性の回復ばかりは、もう手遅れなような気がする。


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