| 第27回友だちでもないのに
 娘が通った保育園では、園児はひとりの例外もなく「お友だち」と呼ばれた。
 保母たちはいつもこういう。
 「みなさん、新しいお友だちが入りましたよ」
 「お友だちでしょ、ケンカなんかしないの」
 「ハイ、お友だち同士で手をつないで」。
 幼稚園から大学まで友だちを持たなかった
 (持てなかった、ではない)私は、
 園で多用される“お友だち”という言葉に、
 いつもうさん臭いものを感じていた。
 あの頃、娘にはよく絵本の読み聞かせをしてやった。“童話おたく”と自慢できるくらい、数多くの絵本を読んだ。
 しまいには内容も科白も暗記してしまい、
 空で言えるようになった。
 絵本の濫読で知ったのは、同じ物語であっても、中身がずいぶん違うことだ。
 たとえば『白雪姫』。
 毒りんごを喉につまらせて死んだ姫は、
 王子のキスによって生き返り、めでたく王子と結婚するが、
 姫を殺そうとした継母は真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされ
 死ぬまで踊らされる。
 これが原作だが、残酷だというので、
 継母への罰は国外追放処分で済ませた絵本もある。
 『かちかち山』も原作は残酷だ。タヌキにだまされた婆さんは、殺されて皮を剥がれ、
 肉は刻まれて汁物にされてしまう。
 タヌキは婆さんの皮を被り、
 帰宅した爺さんにタヌキ汁ならぬババア汁を食わせてしまう。
 実に陰惨である。
 これでは残酷だというので、
 婆さんはタヌキに棒で殴られ寝込むことに。
 またウサギに老婆の仇を討たれるタヌキは、
 泥舟に乗ったまま死ぬ運命なのだが、
 これまたかわいそうだというので、
 改心させ、ウサギのお友だちになってめでたしめでたし。
 砂糖をまぶしたようにどれも甘いお話にしてしまうのである。
 グリム童話に限らず、世界中の昔話には子捨てや人食いといった
 残酷なモチーフがいっぱい出てくる。
 それは当時の現実が残酷そのものであったからで、
 子供たちは童話を通して現実の厳しさを学び、
 危険を回避する知恵を学んだ。
 砂糖菓子のような甘い話に改竄し、
 すべてハッピーエンドに終わらせてしまうことは、
 友だちでもないのに“お友だち”と呼んで自他を欺き、
 いつまでも現実を直視しない子供たちを
 無限に再生産することにつながっていく。
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