第2回
男には厨房がよく似合う
台所に立つこと20年。
わが家では夫が料理を作り、妻がそれを食するという
“しきたり”になっている。
だから娘二人はおふくろの味ならぬ「おやじの味」で育った。
「お父さんの味つけは辛いかしょっぱいかのどっちか。
その点にやや難があるのよね」
と女どもはいつだって口さがないが、
娘たちもいずれ子を持てば、
慣れ親しんだおやじの味を孫たちに伝えてくれるはずだ。
近頃、男も厨房に入るべし、とする風潮が強まっている。
これもまた風俗と観ずれば、
この先どうなるか知れたものではないが、
想像するに「男は仕事、女は家庭」とする
旧弊な性別役割分業意識の賞味期限が
切れかかっているに違いない。
それでも旧套墨守、台所に入るなんてまっぴら御免、
とあくまで男の沽券を守ろうとする姿勢には
共感しないではない。
男は外に出れば七人の敵がいる。
刀折れ矢尽きてご帰還あそばしても
「あなた、夕飯の支度おねがいね!」では立つ瀬があるまい。
男子も厨房に入るべしとする大勢に対して、
「それがどうした、くそを食らえ!」
とする見識があっても、特に奇とするに足らない。
だが、そうした骨っぽい男たちは
進歩的な父親を擬装しているのか、
はたまた地下深くに潜ってしまったのか、
いっかな姿を現そうとしない。
庖丁の心得はかつて弓馬の道、連歌などと並ぶ
武士の表芸だった。
それゆえ台所は女の聖域とする見方は
甚だしき認識不足なのだが、
だから男はすべからく家事育児もすべしとなると、
じゃあ女はいったい何をするのだという話になる。
『育児をしない男を父とは呼ばない』
などという厚かましい官製ポスターが耳目を集めたことがある。
お役所の悪乗りもいいとこで、
働く女性のための環境整備をしっかりやるほうが先だろう、
と文句のひとつもいいたくなる。
もののはずみで、女もすなる家事育児をこなし、
母性に劣らぬ父性本能なるものも芽生えたが、
いまだ主夫的生活に馴染めずにいる。
ただ料理の世界は思った以上にクリエイティヴで、
女の聖域にしておくのはもったいないとは思う。
というと女たちはますますつけ上がり、
そのうち『料理のできない男を夫と呼ばない』
などと言い出しかねないので、
「あんまり図に乗るなよ」
と料理しかできない私は
心の中で力無く呟いてみせるのである。
|