第154回
アジアの歴史を一人の女性の有為転変に託す小説
『女の国籍(上)(下)』・その1
邱さんが久しぶりに小説を書きました。
昭和52年から昭和54年まで「日経流通新聞」に
2年4ヶ月かけて小説「女の国籍」の連載し、
昭和54年5月に出版したのです。
作家になってからずっと心に温めていたテーマに
取り組んだもので、「私のマドンナ」と題して
(『食べて儲けて考えて』)この小説の概要を書いた
エッセイが書かれていますので3回にわたって引用します。
「大正8年、田健次郎(元参議院議員田英夫さんの祖父)が
文官としてはじめて台湾総督になった時、
内台融和の一番手っ取り早い手段として、
内地人と本島人の結婚をおしすすめることを真剣に考えた。
その手始めとして、挨拶に見えた茶商の李天来に
長男の嫁を世話してあげようと言った。
当時の植民地の総督は天皇みたいなものだから、
李は無下に断ることができず、
既に同棲している女のある長男を離婚させた。
一方、田は利権を求めて台北へやってきた
貧乏子爵北大路康隆に娘があったら、
台湾の財閥の御曹司に輿入れする世話をしてやろうか、
ともちかけた。
貧乏子爵はこの結婚が新しい金蔓になることを期待して、
大いに心が動いたが、たかが植民地の青年に嫁をやるのに、
本妻の子供ではもったいないと思った。
そこで芸者に生ませた華子という娘を自分の籍に入れて、
嫁がせることにした。
結婚式は帝国ホテルの孔雀の間で行われ、
台湾を離れられない田総督の代りに、
日銀総裁井上準之助が仲人をつとめ、
内台に関係のある名士が一同に勢ぞろいした。
その席上で、新進の東大助教授穂積重遠が
『この新郎新婦は今日から夫婦になるが、
正式の夫婦になるが、法律上は夫婦ではない。
なぜならば内地の戸籍法と台湾の戸口法をつなぐ規定がなく、
一方から他方へ籍を移すことができないから』と演説し、
法律上の欠陥を一日も早く修正するように要望した。
17歳の花嫁華子は、台湾中の新聞に祝福されて
台北の李家に迎えられたが、結婚届を出す段になって
戸籍係から前例がないと言って断られた。
当時、総務長官をやっていた下村海南が総督の内命を受けて、
強引に台湾籍に入れた。総督は議会の承認を得ないでも、
当時の台湾で法律に代わる命令を下すことができたからである」
(「私のマドンナ」『食べて儲けて考えて』に収録)
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