第113回
三島由紀夫さんが自決の1ヶ月前に邱邸を訪問
昭和45年といえば、小説家の三島由紀夫さんが
自決して日本国中、大騒動になった年です。
その三島由紀夫さんが自決前に邱さんを訪れています。
Qさんライブラリの番外として、このことを伝える
邱さんの文章を書き写しておきましょう。
「三島由紀夫さんが自決して死んだ。
三島さんは私より一つ下で、
ふだんそれほど親しく往き来していた仲でもなかったが、
自決する1ヶ月ほど前に私の家に見えた。
前に『暁の寺』の最後の部分を書いていて、
わからないところがあるので、教えてもらいたいと言われ、
それに答えたところ、そのお礼に伺いたいというのが
表向きの理由であった。
しかし、あとで考えてみると、それとなく
別れを告げるためではなかったかという気がする。
『僕の小説は昭和50年に終わることになっているんです。
その時、主人公の持っているお金がどんな具合になっているか、
わからなかったものですから』と三島さんは言った。
昭和44年(原文のママ)の時点で、
もう間もなく完成する小説の終着駅がどうして
昭和50年になっているのだろうかと一瞬、私は首をかしげた。
しかし、話はすぐ食べ物のことに移り、
前から家でご馳走する約束をしていたので
近いうちに奥さんとご一緒においで下さいと、
同席するメンバーまで決めて別れた。
はっきりした日時は他の人たちの都合もきいた上で
電話すればよいとおもったが、それから間もなく
三島さんは市ヶ谷の自衛隊の指令室で自決をしたのである。
その日私はちょうど米沢で講演会があった。
講演のはじまる少し前に何気なくテレビを覗いていたら、
いきなり、三島さんの自決報道がはじまった。
私は事の意外さにびっくりしたが、
『全く何をやろうとしたのか、さっぱりわからない』と
あとで佐藤栄作さんがコメントしているのを読んで共感を覚えた。
『さっぱりわからない』というのは、
もちろん『世間の常識』に照らしてという意味であって、
私が三島さんの心情を全く理解できなかったわけではない。」
(『貧しからず富に溺れず』)
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