第102回
「頭に毛が生えた話」に反響騒然
東京オリンピックの翌年の昭和40年のこと、
やる気を失い、軽井沢の別荘で作詞に興じていた邱さんを
たずねてきた人がいました。
「たまたま九州で獣医をやっていた人で
ブルガリア菌に似た酵母菌からとった酵素を防腐剤として
食品に添加して成果をあげており、
その売り込みのために手を貸してもらえないか」
(『邱飯店のメニュー』)ということでした。
「その酵素はヤケドにも効くし、
水虫にも効くと本人がいうので、
小学校に行っていたうちの次男が
『ハゲにも効きますか?』ときいた。
『効きますよ』といわれて、
『じゃ、うちのパパが気にしているから、
パパに持ってきてあげて』と親孝行な息子が注文をした。
やがて、その液体が送られてきて、
私が半信半疑で使ってみたところ、
約1ヶ月後に産毛がギッシリと生えてきた。
これには私が驚喜し、本当に毛が生えたら、
どれだけ人助けになるかわからない。
それにハゲの薬を発見したら、世界的な大金持ちになれるぞ、
と思っていたので、その経過を『文藝春秋』に書いたのである」
(同上)
さて邱さんが文藝春秋に書いた「頭に毛が生えた話」
と題する文章はすさまじい反響を巻き起こします。
「私の一文が載った途端に、反応はワッと巻き起こった。
また私の一文を見たテレビ局が私を招き、
ブラウン管で頭の産毛を見せたときは、
私がスタジオから出るやいなや、
テレビ局の電話が割れるような勢いで鳴り出した」
(『失敗の中にノウハウ在り』)
文藝春秋社の池島信平さんは専務取締役になっていました。
「頭髪が次第に淋しくなることについては、
池島さんも私も同じ立場であったが、
もうその頃には池島さんは頭上に
タダの一本もないようになっていたのに対し、
私はまったく絶望的というところまではいっていなかった」
(同上)
邱さんはこのクスリの事業化に
手を貸すところまで進んでいきますが
「私の旺盛な研究心も池島さんには
甲斐なき羽摶きと映ったらしく、
『邱さんほどの合理主義者が、
頭に毛を生やそうと考えるんだからな、
ハゲた頭に毛が生えるわけはないよ』と
私の知っている限りの人に、
一人残らず同じことをくりかえし、
喋ったそうである」
(同上)
この話の顛末の詳細は『失敗の中にノウハウ在り』に
書かれていますからご関心のある方はこの本をお読みください。
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