第99回
小林一三さんをとりあげた「財界の鉱脈」
時とともに、邱さんの経済界への関心が深まります。
「私が経済界のことに首を突っ込んだのは
株式投資からであったが、そのうちに、
企業のことから経営者のことまで興味を持つようになった。
日本経済新聞の『私の履歴書』とか実業家の自伝他伝を
盛んに読んだが、明治以降の日本の実業家の中で、
私が一番心を引かれたのは小林一三さんであった」
(『邱飯店のメニュー』)
「小林一三さんは、人も知る阪急グループの創始者であるが、
私が物書きとしてひとり立ちできるようになった頃は
もう他界していた。わけても小林さんの直弟子ともいうべき
阪急グループの総帥清水雅さんからきいた話は圧巻であった。
秘書として小林さんと行動を共にしていた清水さんは、
内台航路に乗って台湾に行く途中、
食堂でおいしいカレーライスに出あうと、
『お前、このカレーライスの作り方を習ってこい』と
小林さんから命じられて、
たちまちコックの白衣を着せられて調理場で働かされた。
また船に同乗していた台湾総督府の役人から、
『台湾で子豚を集めて農家に委託養豚をさせ、
成豚になったのを買いあげている』ときくと、
『清水、内地へ帰ったら、すぐ子豚を農家に預ける方法を考えよ』
となんでもやらされ、おかげで鰻の買い方から、
ブラシの作り方から、ワイシャツの裁ち方に至るまで、
何でも覚えさせられ、デパートで売る商品のことなら
何でもわかるようになったそうである
デパートを都心部からターミナルに動かしたのも小林さんなら、
ライスの上にソースをかけて食べるソース・ライスを
売り出したのも小林さんである。
日本の実業家の中で、
最も独創的な人を一人あげよ、といわれたら
私なら小林一三を少しの躊躇もなくあげるであろう」(同上)
ちょうどその頃「週刊サンケイ」から連載物の依頼が
ありましたので、邱さんは「財界の鉱脈」と題して
小林一三さんとりあげ、昭和39年の年初から
その評伝を書きました。
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