第73回
「色気より金っ気の方へ動くのがいい」
邱さんが作家生活を始めてから5年ばかりの年月がたちました。
原稿のマス目を埋める仕事に変わりはないにしても
書く事柄には大きな変化が起こってきました。
そのきっかけになったのは『金銭読本』がすぐ売り切れて、
版を重ねたことでしょう。
『金銭読本』は政治評論や風俗評論まで含めた
文明批評集であるにもかかわらず、
お金のことを取り上げた文章は
読者の関心を呼ぶという事実は邱さんにとって
新しい発見だったように思います。
これをきっかけにして邱さんは金銭問題に足を踏み込む
ことになりますが、そうした方向に向かうまでに
邱さんが考えたことがいくつかあります。
一つは日本の小説家がセックス一点に
関心を集中させているので、
自分は人間の金銭欲に焦点をあわせていくことが
独自性を発揮できるのではという期待です。
「読者が興味を持ちそうな分野は
いずれも文章の対象となりうるものであり、
読者が興味を持つ出来事は
いずれも人間の欲望と関係のあることである。
人間の欲望は大きく分けると、
食欲、性欲、所有欲の三つになる。
ところが、日本の小説家はこの三つのなかの
性欲のところばかり集中しており、
新聞や週刊誌に載っている連載小説を読むと、
日本人はみな色キチガイじゃないかと見まがうばかりの
ベッド・シーンの連続である。
いまどき、エロ小説は不道徳でけしからん、
などと野暮な言い方をする人はいないと思うが、
エロ小説が氾濫するのは、
もとはといえば需要があるからである。
私も最初は『敗戦妻』のような色っぽい小説を書いて
『君もエロ小説は下手じゃないな』と
檀一雄さんからへんな賞められ方をしたことがあるが、
色事を書くのは容易ならざるワザである。
というのは、同じエロを書くとしても、
新人として売り出すためには、
いままでのエロ作家になかったような
新機軸を出さなければならないからである。
またエロ小説のむずかしさはエロの分量が毎回同じでは
すぐあきられてしまうので、
たえず刺激を強くしていかなければならないが
麻薬と同じで、いきつくところまでいきつくと、
あとはインポテンツが待ち受けているだけだからである。
エロ作家は読者が無反応になれば、ジャーナリズムに無視され、
やがて若い選手と入れかわる運命になっている。
こうしたエロ事の猛者のたくさんいるなかで、
新機軸を出して流行作家になるには、
私はあまりに修行が足りなさすぎるし、
またやっさもっさのところで押し合いへし合いしているのは
商売としてもうまい方法とはいえない。
同じやるなら、あまり競争者のいないところ、
守りの手薄なところと私は思い、
色気より金っ気の方へ動く気になったのである。」
(『私の金儲け自伝』昭和46年)
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