第63回
随筆集「金銭読本」が発売と同時に版を重ねました
昭和34年1月20日、邱さん34歳のとき、
文明評論を集めた『金銭読本』が中央公論社から刊行されました。
掲載された作品の中心は『婦人公論』に連載された「金銭読本」ですが、
「二号さんの黄金時代」、「男盗女娼論」、「美徳論」、「ペン大会偏見日記」、
「私の土佐日記」、それに前回紹介した「日本人に見捨てられた日本料理」の
各作品が併録されました。
「経済物と一緒に並べるのは少しおかしい気もするが、
そもそも『金銭読本』そのものが、経済物というより文明批評的な
性質のもの」(『邱永漢自選集第6巻・金銭読本』)でした。
ところで、この作品が出版されるとすぐ版を重ねました。
「私がそれまで書いた小説は、なかなか再版まで至らなかったが、
『金銭読本』は政治評論や風俗評論まで含めた
文明批評集であるにもかかわらず、すぐ売り切れて、版を重ねた。
「『本の題名がいいんですよ』と、この本のプランをたててくれた
嶋中鵬二さんが言った。」(「私の金儲け自伝」)
この評論集が多くの読者に読まれたという事実は
邱さんの執筆方向に大きな影響を与えました。
「世界ペンクラブというのがあるが、
これはペンで生計を立てている人の集まりだから、
ペンクラブと呼ばれているかもしれない。
そう解釈してもむろん、間違いではない。
しかし本当はPOEM,ESSAY,NOVELの頭文字を
寄せ集めたものだそうで、『文学』を表現することが
この三つに分かれていることを物語っている。
つまり人間の思想や物の見方を文字で表現したものなら
すべて『文学』であり、この三つのどの表現形式をとっても、
多くの読者をつかみ、感激させることができれば、
それは立派な『文学』であると私などは思っているのである。
だから人間の情緒や心理葛藤が『文学』のテーマであるとすれば、
金銭にまつわるそれも同じように
文学のテーマであってもおかしくない。
現に徳川時代には井原西鶴という先達がおり、
『好色一代男』とか『男色大鑑』とかいった
色恋の本を書くと同時に『日本永大蔵』のような欲得に
焦点を合わせた名著もあらわしている。」
(『斜陽のあと陽はまた昇る』昭和61年)
先に邱さんは大宅壮一さんから、
「評論のタネは尽きない」と聞かされ
「評論という形式で日本の社会現象や思想風俗に近づくのも
一つの方法だなあと考える」(『金儲け自伝』)ようになっており、
「井原西鶴のように金銭面を徹底的に追究するのも、
物書きとしての一つの行き方ではないかと、さらに一歩、
金銭問題に足を踏み込む」(同上)ことになりました。
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