Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第49回
孔子、荘子、管非子の思想と人物が生き生きと描かれています

『東洋の思想家たち』には「私の論語」「私の韓非子」
「私の荘子」の三つの作品が収録されています。
邱さんはこれらの作品を執筆にあたり孔子、荘子、韓非子の三人の
思想とその人物をわかりやすく、かつ現代人の考え方と
合致する線で再現することにつとめました。

邱さんは儒家の代表としての孔子を
「仁徳がある男でもなければ、清廉潔白な男でもなく、
卓見はあったが、相当の喧し屋で、
そのためにあまり恵まれなかった一人のインテリ。
政治家としては失敗者であり、万年野党的見解の持ち主」
ととらえました。
ただ、孔子は「幅の広い性格の持ち主」で、
「弟子たちのあるものは『芸術家』としての孔子に、
ある者は『実際家』として孔子に、
またある者は『野人』としての孔子に
偉大さを見出だし」、後年「弟子たちの尽力で
儒学が盛んになり、教祖としての孔子が偶像化された」と
書いています。

道家の代表としての荘子については、
「仮に孔子、荘子、韓非子と三人並べて知能テストをやれば、
荘子が意外にも最も優秀なる成績を上げるのではないかと」と
その「緻密な論理的頭脳」を高く評価しています。
そして荘子は徹頭徹尾、孔子を揶揄し、
仇敵のように扱っているけれども、
孔孟の儒家と老荘の道家の二つの思想は
お互いに相容れない関係でなく、
「同じ米からつくられたメシと酒の関係に似ている」と
表現しています。
つまり「儒家の思想は中国人にとって米のメシのようなものであり、
それをあざ笑うかのごとく現世に背を向けた老荘の思想は
メシに対する酒のようなもの」(『中国の旅、食もまた楽し』)と
とらえているのです。

そして法家の代表としての韓非子ですが
「理路整然、林語堂氏の言葉をかりるならば
『中国人の思考方法というよりはむしろ
ドイツ人の精神の典型というべき理論』を展開している」と
しています。


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2002年10月15日(火)

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