第41回
『香港』の受賞パーティが
大衆文学と純文学の超党派で開催されました
受賞前の邱さんはかなり意気消沈していましたが、
直木賞を受賞し、邱さんは元気を取り戻しました。
「苦節二年は苦節二十年の者から見れば、幸運な賽の目であろう。
私はこの二年間に柳行李いっぱいというほどのことはないが、
かなりの書き溜めがしてあった。
これらのストックがきれいにはけたので、
どうやら檀一雄さんのいう十万円作家にはなれたことになる。
私は古い友人や新しい文壇の諸先輩から盛大な祝賀会をひらいてもらった。
当時は純文学畑と大衆文学畑の人々の間にほとんど交流がなく、
同じ小説家でありながら、
両陣営の人は会ってもロクに挨拶もしないような状態だった。
しかし、私は両方の陣営の人たちからみとめられるという幸運に浴したので、
祝賀会における私の席を中心に、右側は村上元三、長谷川伸、土師清二、
小島政二郎、子母沢寛といった大衆畑のセンセイが、
また左側には檀一雄、佐藤春夫、井上靖、外村繁、浅見淵といった
純文学畑のセンセイが並んだ。
とても堅苦しかったが、あの頃としては前代未聞の
超党派のパーティであった。」(『私の金儲け自伝』)
この受賞祝賀会で檀一雄さんが挨拶に立ち
「雑誌が送られてきたとき、ふつうなら読みもしないで捨ててしまうのですが、
ハガキに郭君の友人だと書いてあったし、
たまたま台湾を舞台にした小説を書きたいと思っていたので、
どうせ下手くそな小説だろうけど、
読んでみようかという気になったんです。
そうしたら、意外におもしろい小説だったので・・・・・・・」
(『私の金儲け自伝』)
とスピーチをして、皆を笑わせました。
振り返れば、邱さんが生命からがら台湾から香港に亡命したのは
24歳のときのこと、それから香港で6年、日本で2年、
あわせて8年ばかり異郷の地での流浪の時が過ぎていました。
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