Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第38回
一気に小説「香港」を書き上げました

「検察官」が直木賞の候補作の中にすら入れてもらえず、
邱さんはすっかり落胆し、もう小説を書くのは止めようかとさえ思いました。
のちに、邱さんは檀一雄さんや井上靖さんたちと一緒に土佐の高知に
講演旅行に出かけましたが、檀さんは主催者や知人たちのいる前で
「この人は、二、三年前は、もう文学なんかやめて
香港へ帰ると言ってたんですよ。
僕がこの人の文学的才能に手形を書き、
佐藤春夫先生が裏書きをしたのに、まだだめだといってね」
と邱さんをひやかしました。
さて、「検察官」が候補作にも選ばれなかった昭和30年上半期は
該当作がなく、『選後評』の中で審査員の一人である木々高太郎さんが
『どうして邱永漢の作品が候補になっていないのか』と
書いてあるのを見ました。
「期待してくれている人もいるんだな」と
邱さんはにわかに勇気づけられました。
気をとりなおして、香港滞在中の見聞をもとに、一気に書いたのが
240枚の長編小説『香港』です。

「台湾から香港に政治亡命した青年が香港で成功しているという
同郷の知人を訪ねていったところ、成功者というのは真っ赤な嘘で、
ダイヤモンド・ヒルの貧民窟へ紛れ込んでいくところから始まる。
大変なことになったと後悔しながらも、
ほかに落着く先がないままにスラムに住み、
生活をしていくために盛り場で露天商の許可のないまま
ノシイカを売って警察官に追いかけられたり、
船主に船を売り飛ばされて香港に置いてきぼりにされた
同郷の船員をそそのかして海に潜らせて伊勢えびを採ったり、
しまいには、カサブランカにすむユダヤ商人に売る茶の中に石ころを詰め
百万ドルをだましとり、山分けして闇船に乗って
日本へ逃げる仲間を港まで送りに行くという」
(「だから私は香港に移住した」という作品
(『日本脱出のすすめ』平成5年出版に収録)というのがこの
小説のストーリーです。


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2002年10月4日(金)

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