Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第26回
迷ったあげくペンネームが「邱永漢」と決まりました

邱さんの本名は邱炳南です。
「邱」という字も「炳」という字も当用漢字に慣れた戦後っ子には
読めない字です。
ただ、邱さんがペンネームを使う気になったのは
別の理由からでした。
今回書いた小説はその7年前に台湾で起こった
2・28という暴動事件を扱っており、
もしこの小説が発表になって、作者が誰か調べられたら、
台湾にいる両親や兄弟に累が及ぶのではないかと
心配したからでした。
そこで苗字はそのままでいいとしても、
すくなくとも名前は変える必要を感じ
邱さんはいくつか候補になる名前を考えました。
その中の一つが「丘青台」でした。

西川さんも賛意を表してくれたので、
雑誌社にもその筆名で原稿を渡してもらいました。
ところが、香港で毎日毎日
この「丘青台」という名前を見ていると、
ロマンチックというか少女趣味というか、
どうも革命家や亡命者に似つかわしくない名前だ
と思えてしようがありません。
そこでまた西川さんに航空便を出し、ペンネームを
「邱永漢」に直してくれるように頼みました。

「邱永漢というペンネームを選んだのは、
 漢という字から連想されるものがややヤクザっぽくて、
 好漢、痴漢、悪漢、硬骨漢、変節漢・・・・・・といった男臭さがあり、
 名前だけ見ると、縞の背広にハンティングをかぶり、
 黒眼鏡にダンヒルのパイプでもくわえた姿を連想してくれるんじゃないか
 と思ったからである。」(『私の金儲け自伝』)
と邱さんは書いています。

西川さんはすぐに雑誌社に連絡をしてくれましたが、
表紙はすでに刷り上っていたので邱さんの一号の小説は、
雑誌の表紙は「丘青台」、中身は「邱永漢」という
チグハグな結果になってしまいました。
日本の文壇へのデビューは必ずしもカッコウのいいものでは
ありませんでした。


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2002年9月22日(日)

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