Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第20回
ファーイースタン・エコノミック・レビューに投稿しました。

「亡命するということは待つことだということを知ったのは、
 自分が香港に亡命してからのことである」
(『わが青春の台湾わが青春の香港』)
と邱さんは書いています。
邱さんたちの台湾独立運動はアメリカの良識に
訴えることに活動のよりどころを置き、
アメリカの動き次第という面がありました。
といってじっとしているわけにもいきません。
邱さんは居候先の廖文毅さんから借りて読んでいた
英文雑誌「ファーイースタン・エコノミック・レビュー」の
編集長を訪ね、自分が台湾からの亡命者で
台湾で何が起こっているかよく知っていると自己紹介しました。
すると台湾通信員ということにして、
月に一回『フォルモッサ・コレスポンデンス』
を書いてくれないかとその場で頼まれました。

幸い、廖文毅さんの奥さんはアメリカ人でした。
邱さんはまず日本語で論文を書き、それを奥さんに直してもらいました。
邱さんの書いた原稿は毎号、雑誌に掲載され、
三号目を書いて原稿料をもらいました。
目が悪くなっていたので、そのお金でメガネを買ったら、
原稿料がすっ飛んでいってしまいました。
以来、原稿を書くのをやめてしまったそうですが、
亡命先で最初に得たお金が原稿料であったというのは、
邱さんのその後を象徴しているようで興味深いことです。

邱さんは、のち日本にわたり「濁水渓」という小説集を出版します。
この本の著者紹介欄に四つの作品が掲載されています。
一つは「壕舎生活者の実態調査報告」(1946)です。
二つは「生産力均衡の理論」(1948)で、
三つは「台湾之糖業」「台湾之船業」「台湾之鉱業」(1948)です。
台湾の銀行時代の調査レポートでしょう。
そして四つが「THE ECOMIC FOUNDATION OF FORMOSA」(1949)です。
「台湾の経済構造」といった意味になりますが、
これが香港の英文雑誌に掲載された論文でしょうね。


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2002年9月16日(月)

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