梅崎さん夫妻が私の家へお見えになった日は、檀一雄さんも珍しく奥さん連れでこられた。当日の名簿を見ると、読売新聞文化部の赤沢正二部長、藤沢逸哉次長、講談社出版部長梶包喜氏、同じく出版部の川島勝氏、それから創元社社長の小林茂さんもお見えになっている。読売新聞社の人が檀さんについて来たところをみると、檀さんが『読売新聞』に「夕日と拳銃」の連載をはじめたか、はじめようとしている時期だったのであろう。檀さんは、先にも述べたように、不思議な魅力をもった人で、文章よりも(といっては申し訳ないが)人柄で人の心をつかまえてしまうようなところがある。だから連載がはじまると、その媒体の責任者も担当者もすべて檀さんのペースにまき込まれて、行動を共にすることが少なくない。ところが、檀さんは、大流行作家になって、「僕は月収百五十万円あるんだぞ」と自慢しても、財布の中にお金があったためしがない。お金は湯水のごとく使ってしまうし、またそうすることが栄養分になって文章が生きてくるのだと信じ込んでいる。だから私は、「檀さんが東大経済学部の出身だとおっしゃっても、信ずる人はいないでしょうね」と冷やかすと、
「うん。邱君は東大経済学部の卒業だけれど、僕は東大不経済学部の出身なんだよ」
と平気な顔をしている。そして、月収百五十万円と豪語した舌のかわかないうちに、
「君、十万円貸してくれんか」
と平気でいうのである。そういう具合だから、おそらく出版社や新聞社で、檀さんに前借りをされなかったところはなかったのではないか。しかし、金銭ごときものなど眼中にない態度だから、どこのジャーナリストも檀さんには人一倍親しみを感じ、檀さんの役に立てるなら、と何でもやってあげるようなところがあった。

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